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インドの聖者と呼ばれたサンダー・シングは、1889年9月3日、由緒あるシク教貴族の末子として生まれる。 彼は、14歳の時、愛する母を失う深い悲しみから、霊の平和を求める激しい心の渇きを覚え、心のへ平和を求めて、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教というインド諸教が提示する方法で平和を求めたが得る事はなかった。彼は自分を救おうと必死だった。良い事を行い、平和に導いてくれるはずのすべての事を行ったが、独力で得られるものは何もなかったのである。そのような中、彼は初めて聖書を手にするが、 「なぜ、聖書を読む必要があろうか!われわれはシク教徒。グランドが聖典ではありませんか。この本に良いものがあるかもしれないが、われわれの宗教とは何のかかわりもない!」 とキリスト教への憎悪は日に日にまし加わるようになってゆきます。彼はやがて、「キリスト教の敵」を名乗るグループの先頭に立ち、聖書やほかのキリスト教書を引き裂き、焼き捨て、あるいわ、宣教師を「悪事を働くもの」とののしり、投石をするようなこともした。しかし、聖書の言葉は彼の心に不思議な影響を与え、彼は当惑する。 だが、十字架上で自分さえも救えなかった者が、どうして他の人間を救えるのだろうか、という疑問が残りつつける。 彼はどうしても、聖書の言葉が心に引っかかり、ヒンドゥー教の聖典と対比を試みる。しかし、研究すればするほど、キリストの言葉に動揺を憶え我慢できなくなり、聖書を焼き捨ててしまうのです。 サンダー・シングは聖書を焼き捨てて、なお、いっそう動揺を覚えるようになってゆきます。彼は自国の宗教の中に、彼が求める平和を見出す事はできないばかりか、平和を約束するキリストの言葉を焼き払ってしまったのである。 彼は自殺して他界で霊魂の安息を得ようと決意する。 12月17日彼は父親に別れを言う。 「ヒンドゥー教は私の魂を満たしません。このお金も、娯楽も、この世のどんなものもです。あなたのお金は、私の体の望みは満たしても、魂はみたしてはくれません。もうこんな惨めな生活はご免です。終わりにしたいのです。」 少年は、鉄道の線路に横たわり、翌朝の5時に通過する特急列車に引かれるつもりだった。彼は凍りつく寒さの中で一心に神に祈った。 「あぁ神よ、もし本当にいるのなら、私に正しい道を示してください。そうすればわたしは、サードゥーになりましょう。さもなければ、死にます。」 何も啓示されなければ、何もわからないままならば、死ねばいい。あの世で神を見つけるだろう。 彼は一心に祈り続ける。 彼はその後、ついにキリストと出会うことになるのである。
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