カテゴリ:カテゴリ未分類
今日はとうとう主人の6クルー目。今頃は投与の真っ最中。 ここまで導かれてきた事、主の守りの御手がいつも置かれていた事、あの事もこのことも、すべては憐れんでくださった方によることを思い巡らしていくうちに、感謝でいっぱいになってしまった。 なぜなんでしょうか。・・嬉しくて仕方がないのです。 今回の事を通して、ただ言うことが出来るとしたら、ただ、主の恵みがすべてをしてくださった。それだけなのです。 わたしは以前、主人が救われるためには、私が何かしなくては・・・などといつも思ってきました。それこそ、ルークさんのメッセージではありませんが、「私が!私がなにか・・」というあせり?いきみ、みたいなものがあったのです。 でも今はっきり思います。私ではない、すべては、あのお方によるのであると! すべてはあの方の恵み、憐れんでくださる方によることを! 主にあって、という言葉の深み、真理。・・以前は何気なく読み過ごしてしまうような言葉でした。しかし、この「主にあって」という、このことのために、ご自身を十字架に委ねられた。私たちが、主にあって!と真実にその奥深さを知る時、私たちはなんと解放される事でしょう。 主人が投与を受けているときに、主がどれほどに愛してくださっているか、深い喜びを感じながら、主人にメールしました。 それを読んだ主人が、どのように捉えるのか、と思うよりも、 ただ、主が主人を愛してくださっている、それが、わたしにとって嬉しいのです。ただあの方の愛が、真実であるゆえに、嬉しいのです。 私がどう思おうと、主人がどう思おうと、そんな事かまわないほど、主の愛は溢れているのです。 もし、主人が、「主よ。。」と祈る事が出来たとしたら、それはただ、憐れんでくださる方のおかげです。ハレルヤ!
「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 ローマ8:35~
ただ、主の愛を、感謝いたします。ただ、主に栄光がありますように!
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|