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2008年01月16日
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インドの聖者スンダル・シング -

A.J.アパサミー〔著〕 河合一充・廣岡結子〔訳〕


 今世紀中「最もキリストに似た人物」と言われ、全インド、東洋また西洋に巡回し多大の感化を与えたキリスト教の伝道師「スンダル・シング」の伝記がこの度発刊されます。
 スンダル・シング(1889-1929)は、インドの三大精神的巨人(タゴール、ガンジー)の一人に数えられる。インドの最も素晴らしい精神と新約聖書の信仰の結晶がここにある! キリスト教をインド人らしく表現し、その教えは単純にしてしかも深く、霊的真理を開示する。精神的に荒廃しつつある今の時代に、最も大切な心の糧を提供してくれます。
 霊峰ヒマラヤを愛し、困難と迫害をものともせずチベットに伝道し、そこで消息を絶つ、勇気と冒険の生涯をつづったお勧めできる一冊です。
入神、癒しの賜物はスウェーデンボルグと並ぶ神の人。

(↑注意:彼はよく、スウェーデンボルグと比較されるが、詳細に検討すると、根本的なところで多くの違いがあることが認められています



 

目次

   スンダル・シングの紹介
   序文

 第1章 少年期 (一八八九~一九〇五年)

 第2章 若きサドゥ (一九〇五~一九一一年)

 第3章 チベットにて (一九一二~一九一三年)

 第4章 断食 (一九一三年)

 第5章 ヒマラヤ山中にて (一九一三~一九一六年)

 第6章 マハリシ (一九一六~一九一七年)

 第7章 インド西部にて (一九一七年)

 第8章 インド南部およびセイロン (一九一八年)

 第9章 極東地域、そして再びチベットへ (一九一八~一九一九年)

 第10章 英国を訪ねる (一九二〇年)

 第11章 アメリカ、そしてオーストラリアへ (一九二〇年)

 第12章 祈りのひと

 第13章 スイスへ (一九二二年)

 第14章 ドイツ、北欧、そしてオランダへ (一九二二年)

 第15章 スバツーでの生活 (一九二二~一九二五年)

 第16章 霊界で見た幻 (一九二六~一九二九年)

 第17章 最後の日々 (一九二六~一九二九年)

  

訳者あとがき

 東洋の大国インドは、物質よりも精神の力を信じる国民である。二十世紀のインドは、世界に偉大な精神的存在を送った。詩人タゴール、政治家ガンジーの名が挙げられる。もう一人、今は知られざるキリスト教の伝道者スンダル・シングを忘れてはなるまい。スンダル・シングは神秘家とのラベルを貼られるが、一言でいえば、インド精神と新約聖書の信仰(キリスト教)の結晶である。

 本書は、インドの生んだキリスト教の聖者、スンダル・シングの伝記 SUNDAR SINGH A Biography by A. J. Appasamy,1958 Lutterworth Press, London の翻訳である。著者のアパサミー博士は、生前からスンダルをよく知る、インドの著名なキリスト教学者。南インド教会のコインバトール教区の監督などを務め、インド・キリスト教のリーダーとなった人物である。

 この聖者の名については、これまで英語式に呼んだ「サンダー・シング」で知られてきた。戦前日本において金井為一郎牧師が紹介に努め、『サンダー・シングの生涯と思想』を書いたほか、著作を翻訳しておられた。本書では、聖者がインド人であり、インド式に発音をするのが相応しいと思い、「スンダル」と呼ぶことにしたい。(スンダルとは「美男子」との意味)

本書の価値

 現在日本語によるスンダル・シングの伝記や著作は、惜しいことに絶版である。サドゥの生前からすでに多くの伝記が出版されていて、世界各国語(四〇カ国以上)に翻訳されていた。今回、なぜアパサミー著を選んだのか申し上げたい。

 このアパサミー著は、スンダルの没後、約三〇年後に刊行されたもので、その後の新しい資料を含めた決定版である。序文に、「スンダル・シングは一時的ブームであったのだろうか、あるいは今後何世代にもわたって影響力を及ぼしそうな、キリスト教会における永遠の存在だろうか」と書いている。言うまでもなく、著者は「永遠の存在である」ことを訴えたいのである。

 スンダルがヨーロッパ伝道の後有名になると、この世の習いのとおり、彼への批判と誹謗があがった。伝記の中のあるものが、スンダルの奇跡や不思議な出来事を強調したり、誇張したりしたせいでもあろう。あるいは東洋に、あるいは新教にキリストに似た聖人が出るはずがない、との偏見もあった。そのような歴史的背景がある。

 それでアパサミー博士は、しっかりとした証言によって、文学者の想像をまじえず、批判にたえられる資料を基に信頼できる伝記を綴ろうと努力したと思われる。本書は今日から四〇年前に出版されたものであるが、これ以上の本格的伝記は今後、世に出るであろうか。貴重な文献である。

 本書は、スンダル・シングの行動が年代を追って述べられている。彼の欠点も、また彼への批判も隠されていない。王侯から大神学者、哲学者の証言があり、対話があり、また名もなき民衆の声がある。福音書のように、スンダルの言行が淡々と事実として記録されている。そのうえ、彼の内面生活が見事に表されている。

 オランダのウィルヘミナ女王の言葉、哲学者アンリ・ベルグソンやガンジーとの対話も興味深い。第12章の「祈りの生活」、第16章の「霊界で見た幻」は、スンダル・シングならではの健全な、霊的な教訓と知識を与えてくれる。第17章の「最後の日々」の描写は、心温まる表現で彩られている。セレクタン牧師の「英雄崇拝は好きでないのに、彼はわたしにとって英雄のように見えました」という感銘深い言葉は、まさにスンダル・シングがひとびとに及ぼした感動を代弁しているようである。


信仰と人柄

 本書をとおして、スンダル・シングの信仰と人柄の特徴が浮かび上がる。それをいくつか挙げてみたい。

一、彼は、パウロのように、キリストの顕現に直々に出会って、キリスト教徒になる。その後もしばしば神秘的体験をし、霊界の知識の類稀な持ち主だった。
一、「キリストのために苦しむことを喜び」、十字架を負う生涯を生きた。
一、「キリスト教とはキリストである」という。福音の中心に、いつもキリストがある。
一、インド人らしいメッセージとして、「祈りと瞑想」の重要さを強調して止まない。
一、どの教派にも属せず、誰の弟子にもならず、また自分自身は弟子をもたない。
一、クリスチャン・サドゥとして、何ものも持たず、物質に支配されない生き方を通した。
一、聖書を徹底的に愛読した。また、自然という神の書を読んだ。
一、愛と憐れみに富んだ人格だった。自然を愛し、動物を愛し、植物を愛した。とりわけ、人への愛は、困難な伝道活動に駆り立てた。


 本書の読者が、スンダル・シングの生涯をたどって、もう一度新約聖書を手に取り、イエス・キリストのメッセージが真であることを知る機会とならば、アパサミー博士の意図は全うされることになり、また訳者の望外の幸せとするところである。

   一九九八年六月八日
                                    河合一充

 

 

サンダー・シングの本は2冊持っていますが、上記の本はすでに絶版。

何とか中古本を見つけた。

届くのが楽しみ。(*⌒ー⌒) にこっ♪

サンダー・シングの本は、本屋さんで何気なく手に取った、それがこの本との初めの出会いだった。

その当時、私は人を憎み、その罪責感にさいなまれ、なお、心は非常な飢え渇きを感じていた時だった。

サンダー・シングの本は、大切な事を気づかせてくれた。

まさにグッドタイミングで与えられた本でした。かたくなだった心はサンダーシングのメッセージによって溶かされた。

しかし、彼のメッセージに感化されたとはいえ、その当時は、私自身、まだまだ霊においては幼子だった。

今あらためて、彼のメッセージに触れ、気がつきもしなかった霊的な奥義を感じ、じっくりと読み直している。ブログで書き込みながら、とても満たされる。

彼の本は確かに、神秘体験があり、読む人によっては、受け入れがたい面を感じるかもしれない。

しかし、違和感を感じることなく読み進める不思議さを感じる。

人間の小さな五感で、神を判断してはいけないように、聖書の御言葉と矛盾する事がない彼のメッセージを、私の思いで制限したくはないと思わされています。

 

 サンダーシングの言葉。

 

 「主の御恵みによって、私たちは豊かな生命を受けるのです。歓びを受けるのです。歓びこそ私たちが豊かな生命を受けている証です。クリスチャンの多くは生命はあっても、病にかかっています。病人は健康ではないため,生命があっても歓びがありません。

「豊かな命」の中にしか、健康はないのです。死ねば天国にいけると思っている不幸なクリスチャンが多くいます。しかし、天国はこの地上において始まります。霊魂が神にふれ、主の臨在を実感する時に、私たちは、天国とは霊魂の完全な平和の事であり、そこにこそ、地上天国があることを理解するのです。」

 

また、彼は1919年2月27日、日本に訪れている。

彼が日本について語った言葉である。

「知的、霊的ことがらにおいて、インドは日本からは何一つ学ぶものはない。日本は確かに、偉大な国である。しかし、昨今の戦勝によって霊的な基盤がすっかり崩されている。」とサンダーは皮肉を込めてこう続けた。

「日本は、霊魂を滅ぼす西側の物質主義の洪水に自ら飛び込んだ。今の日本は、この世的偉大さしか眼中にない。マネー・ゲームに狂奔し、神の言葉に聞く耳を持たない。

どんな宗教的訴えも、全く効き目がない。わたしは日本の指導者達との対話を通して、この国に蔓延する不道徳を知るに至った。彼らは倫理観あるインド人ならまさに、「衝撃」の一言に尽きる事さえ、平然と言ってのける。もっても悪しきことに、日本は仏教すら、まじめに受け取っていない。寺社はどこもかしくも、観光客とガイドだらけで、その数は信仰する者の数を上回っている。中国では、事はこれほどひどくはない。中国人はまだしも、宗教の敬意と愛とを持っている。」

と。

 

 

 

 

 






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最終更新日  2008年01月17日 00時34分48秒
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