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今日はサンダー・シングの言葉のいくつかをご紹介したいと思います。
「神との交わりとは、私たちの中に神があり、神の中にわたしたちがいるということである。とはいえ、これによってわれわれの個別性が失われるわけではない。鉄が火の中に置かれれば、鉄の中に火がおこる。だからといって鉄が火になるわけでも、火が鉄になるわけでもない。」 「わたしはどこの教派にも属さない。わたしはただのクリスチャンである。教派主義が争い事を呼ぶ。」 「キリスト者は塩のようなものでなければならぬ。塩は溶けてはじめて効き目をあらわす。自己犠牲にこそ、訴える力はある。」 「福音というミルクは飲むものであり、分析すべきものではない。分析しているうちにミルクは腐ってしまう」 「われわれは罪深い世界に生きているが、それでも、心にイエスを持てば罪に汚されずに済む。それは、塩水の中に住む魚が、塩化しないのと同じである。それは生命を持っているからである。そのようにわれわれが、主から生命を受けていれば、この世にあっても、この世のものではない。この世ばかりか、天においてもわれわれは主の中に自分を見る。」 「今われわれは、富も地位も名誉も望まない。いや、天国さえも望まない。ただ、自分の心を天に変えしめた主のみを必要とする。主の無限の御愛は、それ以外のすべてのものに向けられる愛を一掃した。クリスチャンと呼ばれる人々の中に、主の尊い、生命を与える臨在感を実感できない人々が多いのは、キリストが彼らの頭や聖書の中に生きているだけで、心の中に生きていないからである。人は心を明け渡す時のみ、主を見出す。心[ハート]はキリストの王座である。王たるキリストの支配する心(ハート)こそ、天の都である。」 神の化肉について 「かつて、ヒマラヤ山中にいた時、わたしはサトレジュ河を渡ろうとしたが、橋がなかった。とても泳いで渡れるところではなかった。どうしたものかと考えていた時、一人の男を見つけたので、彼に声をかけた。 「向こう岸に行きたいのだが、橋もなければ船もないのです。」すると彼は、「心配ない。空気が向こう岸につれてってくれるさ」と答えたので、私はびっくりした。空気を吸うことは出来るが、吸った空気で体が持ち上がり、対岸にいけるわけでもない。すると相手は獣皮をとりだして、空気をそこに吹き込み、ゴムボートにしてそれに乗れと命じたのである。こうして私は安全に向こう岸に辿りつけた。空気は皮の中に閉じ込められることによってのみ、私を運ぶことができた。 同じく、神もまた、人を救うために受肉されなければならなかったのである。いのちは言葉となった。その方はこの世の河を渡りたいと願う人々を安全に天国へ運んでくださる。 「わたしを見たものは、すなわち父をみたのである。」われわれは、イエス・キリストの化肉の中に、生ける父を見ることができる。」
カシミールで起きた事を思い出す。その地方に数百頭の羊を所有するものがいた。使用人たちが羊を放牧する仕事についていたが,夕に羊を戻す度に、2頭か3頭がいなくなった。あるじは、使用人たちに失せた羊を探すように命じたが、野獣に襲われるのを恐れて、誰も探しにで様とはしなかった。だが、あるじは羊に愛情を持っていたので、助けてやりたいと思った。 「自分が行っても羊にはわかるまい。わたしを見たことがないのだから。使用人なら見分けられるだろうが、彼らは行きたがらない。自分が羊に変装するしかない。」 彼は、羊の毛皮を被って羊に変装した。探しにでてゆくと、迷子になった羊が数頭、それに怪我を負った羊も見つけた。羊たちは、彼を仲間だと思いこみ、後についてきた。 こうして、かれは羊を一匹残らず救い、家に連れ帰る事が出来た。同じように、神は人ではない。あえて、ひととなってくださったのだ。」
「ひとりの王がいた。王に仕える大臣は、博識で聖なるひとだった。パレスチナを旅したとき、大臣はキリストの話を聞いていたく感動し、ついにキリスト教徒になった。故郷に戻ると、自分がキリスト教徒になったこと、罪人を救うために世にくだった救い主を信じていることを人々に告白した。 王は言った。 「余は何かをさせたい時には、一言家来に命じるだけでそれは果たされる。一言で人間を救えるはずの王の王が、なぜこの世に来て受肉されなければならなかったのか。」 大臣は答えを出すまで、一日猶予をくれるように願った。そして、有能な職人に命じて人形を作らせ、王の1歳になる子供そっくりに着付けさせ、翌日もって来るように命じた。 その翌日、王と大臣は船の上にいて、いよいよ大臣が答える時がきた。 このとき、かねてからの打ち合わせどおり、職人が人形を抱えて岸辺に立っていた。王は人形をわが子と思い込み、両手を差し延べたが、職人は大臣の指示通り、人形を湖に投げ込んだ。このとき、王は溺れるわが子を救おうと直ぐに水に飛び込んだ。 このあとで、大臣は言った。 「王様、ご自分から水に飛び込む必要はありません。わたしに御命じになれば十分ではありませんか。なぜ、自ら飛び込まれましたか」 「父の愛だ」 と王は答えた。大臣はいった。 「世を救うために、全能の神自らが化肉されたのは、まさにその愛のためなのです。」と」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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