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昨日から読み始めたサンダーシングの伝記、 読んでいてとても感動を覚えた箇所を記したいと思います。
ストークス氏の見たサドゥ [彼は約一年の間、サンダーシングと働きを共にしています。] 修道士になったばかりのストークス氏は、あるインド人のキリスト教徒と一緒になります。彼はシーク教からの回心者で、修道誓願を立てず、修道服も着ないうちからすでに一年以上も、クリスチャン・サードゥーとして国中を旅していました。 私が活動で平原へ降りたときも、彼はひとり持ち場を離れず山に残って非常に誠実に働き、成果を挙げたので誰もが驚きました。彼の働きぶりは私よりもずっとすぐれていて、まだ少年だというのに、すでに飢えや寒さ、病気、そして家長による幽閉さえも経験していました。 私たちは内陸へ数百キロほど入った地域におり、きわめて不衛生な地方を通過しなくてはなりませんでした。サンダーシングは毎日高熱にうなされ、激しい消化不良を起こしていました。 ある晩二人でとぼとぼと歩いていくうちに、彼はとうとう歩く事もできなくなり、道端で気を失ってしまったのです。そこは山に囲まれた道で、道端には土手がありました。私は土手まで彼を引っ張っていき、頭が足より高くなるようにして、彼を土手に横たえました。 彼は発熱前の悪寒に震え、消化器の不調による腹痛で顔がひきつっていますす。ふたりのほかは誰もおらず、乗り物を持たず、非常に寒かったので、不安になりました。わたしはかがんで彼の耳元で気分はどうか、と尋ねました。彼が絶対に不平を言わないことはわかっていましたが、まさかあのような答えが返ってくるとは思いませんでした。 彼は目を開き、ぼんやりと笑みを浮かべ、ほとんど聞き取れないほどの低い声で、 「今はとても幸せです。彼のために苦しむ事はなんとすばらしい[sweetスイート]でしょう」といいました。 これこそ、彼の生涯を貫く基本姿勢であり、彼のおこないすべてに影響を及ぼしているものなのです。
何と素晴らしいsweetでしょう 素晴らしいだけではない、sweet ・・甘い・・と語った彼の言葉に感嘆といえばいいのでしょうか、深い感動を覚えたのです。 主と共に苦しみを担うことの中に、隠された恵み、それはまさにsweetと呼ぶほど素晴らしい恵みで満ちているのかもしれません。 わたしはそれさえも知らない・・・そんな渇きを思わされます。
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