カテゴリ:信仰
「お前はわたしの愛する子、お前はわたしの意にかなった。」 マルコ 1:11
自分が御心にかなっているのか、そうでないかと考えたことがあるが、自分がどうだと思うこと、その視点の先、つまり、自分を見ている。・・自分がどうのではない。 神の御心にかなったお方、父の喜びは、ひとり子なるイエスだけである。 「お前は私の愛する子、お前はわたしの意にかなった」 この御言葉の中に、真実、解放があリ、安息があるのである。 自分がどう、他人がどう、そこにしがみ付いている以上、主が与えようとしている安息を味わう事もなければ、静かな喜びも、真実な意味で味わう事ができない。
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最終更新日
2008年02月05日 23時14分46秒
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