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主人には主治医が、2人付いてくださっている。リンパ腫の権威と言われる医師が与えられた事は、何よりの主のご配慮。移植も何度も手がけてきた医師。 医師とのコミュニケーションは、患者側にとってこれから治療してゆく上でとても大切な事。 毎日のように、主人の所に様子を見に来るだけでない、主人との交わりをとても大切にしてくれている。 自分の体を委ねて、入院している主人にとって、医師の言葉は支え以上の力がある。 最近の主人はとても意欲的に治療を受け入れている。白血球を無理やり薬で上昇させているので、体がだるく、節々が痛みを伴う。しかし、これも数日の事と、笑顔で話している。自分は必ず治って、60.70歳になるまで生きる。吹っ切れたように明るい。 その背後に、医師の病状説明の際、「移植を通して、完全治癒を目指しましょう!」という言葉に、光を感じた事が伝わってきた。 日々、医師とのコミュニケーションを通して、医師への信頼が深まり、医師の言葉を信頼していることがわかる。 交わりの大切さを感じた。 交わりを通して、信頼が生まれ、病気と闘う意欲を持ち、必ず治ると信じてやまない姿に私自身が驚きを感じる。 このことが、クリスチャン的にどう?なんて思わない。 もちろん、主人自身が、医師の言葉以上に、主を信じることが願いである事はかわらないが、 すべてのことに心を配ってくださっている主が、主人の事すべてを御手の中に備えてくださっている。 今の状態とか、おかれている状況で、一喜一憂するのではなく、つねに御言葉が真実なので、そこに休み、そこにとどまり続け、その一点を見つめ続けるだけである事を感じるからだ。その一点こそ、いのちだからである。 私自身の愚かさにもかかわらず、主はいつも忍耐のかぎりを尽くして、御言葉をもって導き続けてくださった。それはこれからも決して変わらない。わたしの思いをはるかに超えて御心を成してくださるのである。その御心をあますことなく、あらわされた御言葉を心から待ち望む。 百人隊長のように マタイ8:8 ただ、お言葉をいただかせてください、それだけですべての必要が満たされるのである。 それだけで、OK! それだけが、光、それだけが、まことの希望。 言葉という言語の中に、霊である神は、ご自身を現される。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は、初め神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたものでこの方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」 ヨハネ1:1~ 御ことばそのものが、神である。 分厚い聖書、本の中に列挙されたことばは、それそのものは、ただの字列に過ぎない。しかし、信じる者にとって、ひとたび内に語り込まれた御言葉は、その中にいのちが満ち満ちており、そのいのちによってのみ、生きることを知る。 光は闇の中でこそ、その輝きを増し、もはや闇は打ち勝つ事はない。 素晴らしい御言葉。素晴らしい約束である。 一点一画もすたれることはない御言葉を、そのまますっぽりと受け入れ、それを見つめ続ける、なんという深い安息が満ちることでしょう。 主人の病を通して、私自身も、いらないところが削り落とされ、わたしの中で、御言葉だけが大きくなってきた。 もうそれだけで、十分なのだと言う事が、嬉しい 御言葉、それだけが、すべて。それだけで、お腹いっぱい♪ ハレルヤ!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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