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いと高き方の隠れ場…それは私の内に、奥深く信じる者の内に、確かにおられる。その深き確信は、死を通して。
主の御臨在、それは、まるで目に見える夫の存在が、同じ部屋に共にいるというよりもさらに確かな事実、真実として、主の御霊が内におられるのである。このお方を拝する、内なるお方を、畏れをもって、ただ崇めます。 「わたしの上に主の御霊がおられる。」 と主イエスは語られました。ご自身が救い主であることを公に宣言された、だけではありません。本来、人としてあるべき姿が、御子の内に表されているのです。イエスの十字架を通して、罪が赦された。しかし、それは最大の目的ではなく、神のいのちを得、信じる者の内に、神ご自身が住まわれるという、いえ、「主の御霊が私の上におられる」と信じる者が真に、大胆に告白し、その生きた関係の中へ導かれるために。十字架の購いと復活を通し、神の方から全てを備えてくださったのです。内なるお方を仰ぐ恵み、そして、このお方によって生きるいのちの道が開かれたのです。 主の購いと復活を通して、高らかに宣言します! 「 主の御霊が私の内におられる」! ハレルヤ! blog再開のためにお祈りくださった皆様に感謝いたします。 弱さの中に閉じ込められ、霊的な無知を感じ、しばらくはむしろ、十字架にとどまり、死にとどまり… しかし、それは、さらに恵みを受けるためにその中に閉じ込めてくださった主の恵みでした。肉にあるものがずいぶんとあったことなど(まだまだ有るでしょう)、気付きをも与えてくださいました。 今までの恵みを改めて思い返しながら、主への思いが溢れます。 いのちが溢れ出るままに、blogも書き綴ってゆけたらと思っています。 方法も時も、主にゆだねつつ… 栄光が主にありますように! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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