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2008年06月16日
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神を待ち望むとは、福音書の最初のページの登場人物に見られるように、神の約束を意識しつつ待つということです。

「ゼカリヤよ、あなたの妻、エリサベトは男の子を産む。」ルカ1:13

「マリアよ、聞きなさい。あなたは身ごもって男の子を産む。」ルカ1:31

とあるように神を待ち望んだ人々は待つに値する約束が与えられていました。彼らは、種から成長しはじめた芽のように、自分たちの中で動き始めた何かを受け取ったのです。

このことはとても重要です。というのは、人が待つことができるのは、待ち望んでいることが、すでに自分たちの中で始まっている場合にのみ可能だからです。それゆえ待ち望むとは、何もないところから何かあるところへ移動するようなものではありません。それはつねに何かあるところから、さらに何かがあるところへ移動することです。ゼカリヤとエリサベト、またマリアとシメオンとアンナも、このような約束に生きた人々でした。この確信が彼らを養い、育て、様々なことがあっても、そこに留まることを可能にしました。こうして、彼らの中で形あるものとなり、彼らを通して実現していきました。

第2に、待ち望むとは積極的なことです。私たちの多くは、待つことはとても受け身であり、自分たちのまったく手の届かない出来事によって決定される希望なき状態であるかのように考えます。それはまるで、遅れているバスを待っているような状態です。あなたにできることは何もありません。ただじっと座って、待つしかありません。いらだっている人が「じっと待ってなさい」と言われたらどう感じるか容易に想像できます。こうした言葉は、私たちを受け身の状態に押し込めるかのように思います。
しかし、こうした受け身的な人物は聖書のどこにも見当たりません。待っている人々は、とても積極的に待っています。彼らは、待ち望んでいるものが、自分たちが今拠って立つ場で育ちつつあることをよく知っていました。ここに秘訣があります。待つことの秘訣は、すでに種は蒔かれており、そこに何事かが始まっていることを信じることです。


ヘンリーナウウェン「待ち望むということ」より





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最終更新日  2008年06月17日 08時06分53秒
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