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昨日とても興味深いドキュメントを見ました。猛毒のへびを沢山飼育している人を紹介したものでした。
世界でも有数な猛毒の蛇から毒を採取し、自らの体に薄めたものを注射してゆきます。そうすることで体のなかで抗体ができ、その血液で毒蛇にかまれた人々のために役立てる血清をつくるのです。世界にはこうした毒蛇に噛まれていのちを落とす人々が本当に多くいます。そのような人々を救うため、その人は自分の血を役立てるために飛んでいくのです。その人の手には蛇に噛まれた跡が沢山ありました。どんなに注意していても、誤って噛まれてしまうことがあるそうです。 でも自分の血で多くの人々が救われるその喜びが素敵な笑顔の中に輝いていました。 蛇がもたらした罪の毒によって私たちは死を待つばかりの存在だった しかし、主ご自身の血潮によって、まことの血清は私たちの内に投与されたのである。 私たちの内に死をもたらす毒はイエスのゆえに無毒とさせられたのである。 それゆえ、私たちはいのちを得ることができた。しかし、 いのちを得たことがゴールなのではない。 父の家に帰ること、それが御子の願いである。 「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来てあなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」ヨハネ14:2~3 場所を備えたら…私は以前この箇所は、やがて行く天の御国のお話しだと思ってきました。もちろんそのような意味もあるでしょう。しかし、神の国は私たちの只中にあると主は話されました。十字架の死を通られ、甦っていのちを与える霊となられただけでなく、内に住まう霊となられたのです。神の宮として私たちの内を神殿としてくださり、神とともに住まう場所を備えてくださった。 まさにわたしのいる所にあなたがたをもおらせるため、という御言葉が私たちの内に成されるため、十字架にかかられ、罪を赦してくださったのです。 イエスは十字架にかけられるために引き渡されたのでしょうか。いえ、私たちの内に引き渡される霊となられるために十字架に引き渡されたのです。神の御子が人の内に住まう御霊として制限ある私たちのうちに来てくださるために。御子が受肉されたことの意味が語りかけられていることを感じます。 父の家はあなたがたの只中から始まり、永遠の都へと繋がっているのです。 ハレルヤ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月22日 13時26分39秒
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