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「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深いものとなりなさい。」ルカ6:36
憐れみは、痛みのあるところに行き、苦しみの場に足を運び、挫折、恐怖、混乱、苦悩をともに分かち合うこと、憐れみは苦難の中にある人と共に泣き、孤独な人と共に悲しみ嘆き、涙にくれている人と共に涙を流すこと、憐れみは、弱い人と共に弱くなり、傷つきやすい人と共に傷つき、力のない人と共に無力になること、憐れみは人間として身分にドップリつかること ヘンリーナウウェン 「憐れみ」に御名を入れ替えて読んでみてください。 イエスのいのちがどのような方として私たちの内に与えられているのか…、私自身、振り返ってみると、いかに神の憐れみの中に置かれていたか…と、胸がいっぱいになってしまった。 新約聖書の中のイエスは、まさに父の憐れみとひとつであられました。憐れみが、人々を癒し、死者をも生き返らせたのです。同じ憐れみが私たちに向けられています。 神の憐れみにあずかり、憐れむ者としてくださる主のいのちが私たちの内に与えられているとは、もったいないほどの恵みです。 いのちからほとばしり出ている主の憐れみに満ちた愛が、苦難の只中にあっても、真に人を生かす力であると信じます。 ハレルヤ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月23日 20時30分55秒
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