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受けること
水の流れは、絶えず低い所をたずね求めて流れてゆきます
心を開いて、受け取ることができることも
イエスから学んだ、真のへりくだりを必要とするからです
イエスは与え主であられましたが
真に受け取ることのできるお方でした
与えることはとても重要なことです が、 しかし、それとともに、受けるという主のご性質が伴う
いのちのバランスが私たちの内に形作られてゆくことは
とても大切なことです。
真に受けることができることを学んだ人は
良きことだけでなく、苦きことも、痛みも、同じ祝福として受け入れ
その中で、たましいの安らぎを経験として知るでしょう
人から見下され、あざけられ、恥を負うということさえも
主は受け取られたのです。
ところが、いざ、自分が見下されることや上から目線を感じると
受け取ることができない自分があるのです。
もちろん、そのことで自分を裁くことはしませんが
真に受け取ることができる人へ、変えてくださるお方に
今日も目を注ぎたいのです
いのちの水は、今日も低いほうへと流れていきます
「わたしのくびきをとって自分に負い、わたしから学びなさい。 なざなら、わたしは柔和で心が低く、 あなたたちは自分の心に安らぎを見出すであろうから。 わたしのくびきは担いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
マタイ11:29,30
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最終更新日
2008年08月05日 08時50分13秒
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