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「闇の子供たち」の本、読み終えました。この本は、貧しいアジアの子供たちが、性的虐待、臓器売買のために商品として売買されて、その行く末を克明に描いた作品である。
貧しい山岳地帯にバイヤーが訪れ、子供を買い付けにいきます。 はじめに出てくるある家族は、もう二人目の子供を売ろうとしています。まだ8歳の女の子でした。姉のヤイルーンはすでに売られていて、売ったお金で、両親は中古の冷蔵庫と中古のテレビを買ったのだ。それを村の人々に対し、自慢にしている姿に理解に苦しんだ。 さらに妹のセンラーも売られてしまった。日本円で3万6千円とウイスキー、一本で。 彼女たちの惨たらしいほどの行く末がこの本に書き綴られている。 子供たちの深い悲しみ、孤独、泣くだけでタバコの火を押し付けられる、暴力を振るわれ、食事もろくに与えられない。性的虐待を受けても、何でこのようなことをするのかさえ理解できない年齢のまま、売春を強要される。もちろん、子供たちには一銭も入ることはない。 また。臓器移植しか助かる見込みのない外国患者のために売買され、生きたまま臓器が取り出されてゆくのである。 絶望的な状況が伝わってきました。 嘆くことしかできない現実に、ただ無力さだけを感じます。 子供たちを救出するために、福祉センターの人々が、命がけで試みようとしますが、背後に働く、大きな闇の力に成す術もありません。 最後に、記者の南部浩行が福祉センターの音羽恵子に日本に一緒に帰るように説き伏せるシーンがあります。 ところが音羽恵子は「わたしの居場所はここです。ここ以外ありません。・・・・たとえ彼女たちが死んだとしても、わたしは彼女たちの魂を捜し求めます。子供たちと一緒に・・・」 何も希望がない状況の中で、彼女の言葉の中に、一筋の光を見たように思いました。 あまりにも大きな闇の力の前に、一人の人間ができることに限界がある。 孤独という絶望に対する光は、共にいるということ以外でなくてなんであろう。
苦しみの中にいる人に手を差し伸べ、助けようとする人は多い。それが悪いわけではない。しかし、自己満足だったり、上から目線である場合が多い。 しかし、その場所に共にとどまり、共にいることが、真に慰めを与え、力となり、助け手となるのではないだろうかと思うのです。
この「闇の子供たち」上映期間は名古屋では今月一杯。観に行けそうもないかな・・・ ぜひ観て、知ってほしい作品です。 「 夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。 」
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆* 闇の子供たち、オフィシャルサイト
「闇の子供たち」作品紹介 http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7863
『カンボジアこどもの家』 カンボジアで同じくしてこの問題と戦っておられる栗本 英世のHPです。こちらもあわせてご覧ください。 http://www.cambodiakids.org/index.html
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