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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年08月22日
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  「兄息子が父親を非難した時の言葉~自己義認、自己憐憫、嫉妬深い言葉~に注意深く耳を傾けてみると、根深い不満の声がそこに聞こえてくる。それは受け取って当然のものを、まったく受け取っていないと感じることからくる。何となくほのめかされたり、あるいは無遠慮に訴えたりもするそうした不満は、人間の怨念を溜め込む温床となる。それはこう叫ぶ。「私は一生懸命やった、長く働いた、たくさんのことをした、それなのに、他の人々が簡単に手に入れたものを、わたしはまだ手にしていない。あの人たちはなぜ私に感謝しないのか。なぜ私を招待しないのか。なぜ私と一緒に遊んでくれないのか。なぜわたしを尊敬しないのか、気楽でのんきに生きている人たちは、あれほど関心を向けておきながら」

口に出す場合もあり、出さない場合もあるこの不平不満は、私の内に兄息子がいることを認めさせる。私はよく、ちょっとした拒否やささいな不作法を受けたり、少し無視されただけで、不満を抱く。すると、ぼやき、泣き言、愚痴、嘆き、不平不満が私の中に次々と何度となく生まれ、ときには自分の意思に反してさえも、そうした思いに捕らわれている自分に気づく。心に芽生えた疑いをくよくよ考えれば考えるほど、私の状態は悪くなる。それを分析すればするほど、不満の生まれる理由が見つかる。それに深く執着すればするほど、問題は複雑になるばかりだ。

この心の不満には、人を引き込む途方もなく大きな闇の力がある。他人や自分を責める思い、独善、自己拒否が補強し合って、ますます悪意が募る。それに誘い込まれるたびに、私は際限のない自己拒否の渦に巻き込まれる。心の広大な迷宮に引きずり込まれますます自分を失い、とどのつまりは、自分を世界で一番誤解され、拒絶され、無視され、軽蔑されている人間だと感じてしまう。

私にとって、確かなことが一つある。不満というものはいつまでたってもきりがなく、逆効果を生み出すと言うことだ。なんとしても同情を引き出し、満足を得たいと願って不平を言うと、いつも逆効果の結果になる。不平を抱く人と一緒に生活するのは難しい。自分は拒否されていると思う人の不満に適切に応答できる人は、ほんのわずかしかいない。悲劇的なのは、いったん表明された不満は、もっとも恐れているものを招く場合が多いということだ。それはさらなる拒否である。

 この観点から見ると、兄息子が父と喜びを共有できなかった理由が容易に理解できる。彼が畑から家に帰ってきたとき、音楽が鳴り、踊っている様子が聞こえてきた。家が喜びで湧き返っているとわかった。彼はすぐに怪しいと思った。人は自分が拒否されているという不満が心に形作られてしまうと、他人の喜びを喜ぶ心の余裕を失ってしまう。

 物語はこうである。兄息子は、「僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。」ここに彼の恐れがある。「自分はまたののけ者にされた、だれも私に話してくれなかった。自分は仲間外れにされている。」という思いだ。不満というものはすぐぶり返す。「なぜ知らせてくれなかったのか、これはいったい何事か?」と。何も知らない僕は、すっかり興奮し、このよい知らせを伝えたい一心で、こう説明する。「弟さんが帰ってこられました。無事な姿で迎えたと言うので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。その騒ぎです。」しかし、この喜びの叫びは、受け止められなかった。安堵と歓喜どころか、僕の喜びと逆の結果を引き起こした。「兄は怒って家に入ろうとは」しなかった。喜びと恨みは共存できない。音楽と踊りは彼の喜びをかき立てるどころか、冷や水を浴びせるものだった。

これと似た体験をしたことを、わたしは今でも鮮明に覚えている。ある時、私はひどくこどくを感じたため、ある友人を誘って気晴らしにでかけようとした。彼は時間がないからと断ったが、その少し後、別の友人が家で行われたパーティーで彼を見つけた。彼は私を見つけ、こう言った。「ようこそ、一緒にどうぞ。会えてうれしいよ。」しかし、そのパーティーを教えてくれなかったことに、その場に居られないほどわたしは憤慨した。自分は受け入れられていない、好かれていない、愛されていない、という不満が心に溢れ、私は部屋を出てパタンと戸を強く閉めた。私はすっかり力を失い、そこにあった喜びを受け入れることも、そこに加わることもできなかった。一瞬にしてそこにあった喜びが、わたしの恨みを引き出すものとなった。

 喜びに加われなかったこの体験で、憤る心というものを体験した。兄息子は家に入ることをせず、父の喜びを分かち合うこともしなかった。彼の心に湧き起こった不満が,彼をがんじがらめにし、暗闇が彼の心を支配した。

 

        






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最終更新日  2008年08月22日 21時19分15秒
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