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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年08月30日
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   イエスが語られたぶどう園の労働者のたとえ話(マタイ20:1~16)をすっきりと理解するのはとても難しい。「丸一日暑い中で辛抱して働いた」人たちを同じ賃金を、たった1時間しか働かなかった人たちにも支払った農園主の話を読むたび、いまだにイライラする思いが湧いてくる。

 なぜ地主は、長時間働いた人たちにまず報酬を支払い、そのあとで、遅くきた人たちに気前よく支払って感銘を与えようとしなかったのか?11時間働いた労働者たちに最初に払うことをせず、なぜ間違った期待を抱かせたり、不必要な苦々しい思いと嫉妬を生じさせるようなことをしたのか?今になって気づくことだが、このような私の疑問はすべて、神の側の独自な秩序に、この世の経済観念を押し付けることから生じるのだ。

 これまで自分の思いもしなかったのが、地主は、遅く来た者たちに対して気前がよいのを見て、早くから来た労働者が喜んでくれると期待したのかもしれない。これもわたしの頭にかすりもしなかったことだが、丸一日ぶどう園で働いた人たちは、地主のために長く働いた機会を深く感謝するばかりか、さらに地主の寛大さを見て感謝するだろうと予測して、地主は行動したかもしれない。このような他と比較しない考え方を受け入れるには、心の方向転換が求められる。しかし、これこそが神の考え方なのだ。神はご自分に属する人々を、ほんのわずかしか働かなかった人も、多くのことを成し遂げた人と同様に愛される幸福な家の子たちだとみなしておられる。 

 時間の長短に関係なく、同じ心遣いを受けることで、ぶどう園で過ごした人々はみな大いに喜ぶだろうと考えるほど、神は純真であられるのだ。実に神は、人々はご自分の前では、互いに比べ合うことなど起きようもないくらい、みなが幸せだと思われる純真なおかたなのだ。それこそ、愛する人々の誤解に戸惑い、なぜ次のように言われたのかの理由だ。「わたしの気前のよさをねたむのか。」(マタイ20:15)それは、こう言い換えることもできただろう。「お前は一日中わたしと一緒にいた。お前の願ったものをみな与えたではないか!なぜそんなに苦々しくおもうのか?」これは嫉妬した兄息子に次のように言った父の戸惑いと同じだ。

 「子よ、おまえはいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」

この背後には回心への大きな招きが隠されている。すなわち、自分自身に対する低い自己評価という観点から見るのではなく、神の愛の目を通して見るということへの招きだ。最小の投資で最大のものを獲得しようとする家長や地主であるかのように神をみなすかぎり、わたしは同僚や肉親に対し、ねたんだり、腹を立てたり、恨んだりせざるを得ない。しかし、もしわたしが神の愛のまなざしをもって世界を見ることができたら、そして神の見方は、よくある地主や家長のようではなく、どれほどうまく行動したかに応じて子を愛する父のものでもなく、すべてを与え、すべてを赦す父の見方であることに気づけば、わたしの本心からの反応は、ただただ、深い感謝でしかあり得ない。

 

  ☆彡*ー*ー*★彡*ー*ー*☆彡*ー*ー*★彡*ー*ー*☆彡*ー*ー*★彡

・・・・・・・ 感想・・・・・・

  このぶどう園の労働者のたとえ話は、ナーウェンと同じく、私自身もイライラを感じる内容だった。不公平じゃないか、・・と心のどこかでいつも思っていた。だからか、あまり好きなたとえ話ではなかった。それは紛れもなく、意識的にも、無意識的にも、いかにこの世の評価の中に自分が居たことを表し、そのことによって、また他の人々をも測っているというとに気づきを与えられた。

人は引っかかりのあるところ、自分の中の問題を浮き上がらせる。

あのぶどう園の地主と、放蕩息子を迎えに出た父の姿、そして、兄息子に対して家に入るようにしきりに願った父の姿はどれも同じ、憐れみに満ちた父の姿であった。

 丸一日働いた労働者に、1時間しか働かなかった労働者に対して一日分の賃金を支払ったところを見せた父の思いは、共に喜びに与ってほしいと、兄息子に願った父とおなじなのだ。

 あまりにも聖いお方の思い。あまりにも純真な、憐れみに満ちた方。・・・

妬ましく思うのは、この世の物差しの中にどっぷりと漬かっていて、比較することの中に生きているから。父の深い憐れみを歪んだ目で見ていた自分が居たのだ。

このぶどう園の労働者のたとえ話を通して、父の聖い思いにふれ、回心への招きが自分自身にも向けられたものであることを思うとき、静かな喜びが心に満ちてくることを感じました。

真理はあなた方と自由にする、・・アーメンです!






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最終更新日  2008年08月30日 23時40分52秒
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