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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年09月20日
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   このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして十字架につけるために外へ引き出した。そこへアレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所~その意味は「されこうべの場所」~に連れて行った。

          マルコ15:20~22

 

   

      イエスがゴルゴタに向かって十字架を背負って運んでいた時、兵士たちは、そこを通りかかったキレネ出身のシモンという男と出会いました。そこで兵士たちは、シモンに十字架を運ぶように命じました。イエスが一人で運ぶにはもはや重過ぎたからです。処刑される場所まで運べなかったイエスは,ご自分の使命を成就するため、見知らぬ人の助けを必要としました。何という弱々しさ、何というもろい姿だったことでしょう。

 イエスはご自分の使命を果たすために私たちを必要とします。一緒に十字架を担いでくれる人たちを必要とします。   

 イエスは私たちに、御父の家に向かう道を示すために来られました。新たな家を提供するため、新しい帰属意識を与えるため、真の安全は何かを指し示すために来られました。しかし、それはイエス一人ではできません。困難で、痛みを伴う救いの働きは、人間に頼られた神による働きなのです。もちろん、神は力と栄光と、威厳に満ちたお方です。しかし神は、私たちと同じ仲間に、つまり人間に頼る存在になることを選ばれました。剣をつかってイエスを守ろうとした弟子たちに向かい、こういわれました。

 「剣をさやに納めなさい。・・・・わたしが父にお願いできないとでも思うのか、お願いすれば、父は12軍団以上の天使を今すぐに送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(マタイ26:52~54)

 イエスの道は無力への道、依存への道、そして受難への道です。幼子となってマリアとヨセフ、そして他の多くの人々の愛と世話に依存し、地上での旅路を完全な依存のうちに成し遂げました。イエスは待つ神になられました。人々が自分に何をするのかと思いながら、裏切られるのか、それともついて来てくれるのか、そばに従う者なしに十字架につけられるのか、それとも十字架を担う手伝いはいるのか、と。

 イエスにとってこの世の救い主になるには、進んで一緒に十字架を担ってくれる人々を必要とするということです。

ある人は自発的にするでしょう。ある人は「志願」せざるえないかもしれません。しかし、一度でもその十字架の木の重さを感じた人は、それが軽い荷であり、御父の家へと導く、負いやすいくび木であることに気づくでしょう

 

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  「人間と同じようになられた」ピリピ2:7

 という御言葉を思い出した。人間と同じように、・・

 姿格好だけではない。人間は愛し、愛される存在として、信頼関係の中で成長する存在。何もできない存在として生まれ、人の手に託され、成長する。大人になっても同じ、人は一人では生きていけない。分かち合い、支えあい、励ましあい、助け合う存在が必要です。

人間に頼る存在になることを選ばれた、この言葉に、ご自分を無にされたという意味を思うのです。

 シモンの助けを得なければ、十字架を背負って歩くことができないほど、弱さの中に、死の中にとどまられたのです。

 私たちの中におられる主は、すべてに満ち満ちたお方です。

 しかし、同時に、わたしたちと同じようになられた、それは弱さを身にまとわれたキリストでもあられます。

 「 まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。 」(ヨハネ5:19)

 イエスはこの地上で歩まれた時、自分からは何事も行うことはできないとおっしゃいました。

 それは、「人間と同じようになられた」人としての御子の姿であり、そして、御父に完全に依存して歩むことの、(信頼から生まれる深い安息と喜びがを伴ったもの)模範を残してくださいました。

 また、逆を言えば、イエスなしに、何事も行わないという立場を、父なる神も選ばれたということでもあります。

 イエスを通して御心を成し遂げられた御父、

 愛と信頼関係に満ちた交わりの中から生まれでたもの、溢れ出てゆくいのちが

 イエスの生涯を導いていました。

 わたしたちも主なしでは何事も行うことができません。しかし、それは同時に、主の側も、わたしたちなしに、何事もなさらない、という立場をお選びになったということなのです。

 私たちを必要としてくださっている、私たちはただ、自らを差し出すだけに過ぎませんが

 私たちの内におられるお方は、満ち満ちたお方であるのに、私たちがいなければ、何もすることができないお方として、弱さを身にまとわれた方でもあるのです。

 

 何というへりくだったお方なのでしょう。

 

 以前もお証させていただいたのですが、

 主人が昨年、外来での抗がん剤治療が始まったとき、「祈っているね」と一言主人に伝え,化学治療室を後にしました。

 病院の駐車場に向かう最中、主の名を呼び求めながら歩いていた時、

 突然、主の語りかけを感じました。

 「わたしのために祈っていただけませんか?」

 わたしは溢れる涙を抑えきれず、驚きと感動でいっぱいになりました。

 主人のことを「わたしのために」と主は語られた。

 主人のことを祈る、それはイエスご自身の中に、主人がいること、イエス様にとって、主人なのかイエスご自身なのか、そんな区別もないほど最も近くに、主人のそばに共にいてくださっている。主人の痛みを知り、その痛みさえもご自身のものとして受け止めてくださっている。

 そして、何より、こんなわたしの祈りを必要としてくださる、主のへりくだったお姿に触れ、車に乗ったわたしは声を上げて泣いてしまった。

私たちの主は、すべてのことを共にすることを望まれたお方として、内にいてくださるのです。

それはあたかも、

「あなたは、わたしなしに何事もすることはできません。そして、わたしも、あなたなしには何事もすることができません。すべてのことを共に、それはわたしの喜びがあなたの中にとどまり、あなたがたの喜びが満ち溢れるために・・・。わたしは今日もあなたと共にいます。」とおっしゃってくださっているようです。

 

   






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最終更新日  2008年09月20日 15時56分59秒
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