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( この本は、papa1992さんよりご紹介された本です。)
「憎しみ」がもたらす影響、それは人間の心も体も蝕んでいくことを、私自身、母の姿からずっと見て育ってきた。 母が統合失調症になっていったことが、人への強い憎しみが引き金だったからだ。 わけの分からないことを口走る時でさえ、憎んだ相手に対する口汚い悪口をいつも独り言のように話していた。 そんな時の母の目はまったく違う。母であって、母ではない憎しみに歪んだ顔だった。 あのような母になってしまったことで、相手の方もとても苦しまれたことを、後になって知った。 詳しく何があったのか、当人同士でないと分からない。 しかし、赦す、赦し合うことができたとするなら、どんなにか自由を取り戻し、変わっていただろうかと・・。 私自身も人を憎んだ経験がある。人を憎むということをあれほど避けてきたと思っていたのに・・・。傷つけられれば、簡単に人を憎んでしまう。相手の存在すら感じたくないと思ってしまう・・。弱くてもろい存在だな・・とつくづく思わされた。 憎しみがもたらす悲劇は、本人はもとより、周りをも巻き込んでいき、計り知れない暗闇の力を及ぼす。 しかし、それ以上に、赦しがもたらす力の大きさを、この本を読み進めるごとに感じた。
「赦すことには非常に実際的な理由があります。我々がひどい目に遭わされた時、復讐を求めることもできるし、赦すこともできます。もし復讐を選べば、人生は怒りで費やされてしまう。復讐を果たしても残るのはむなしさだけです。怒りという感情は常にその対象を必要とするし、それは習慣になってしまう。しかし、赦しは、我々を前に進ませてくれます。 さらに赦さざる得ない理由もあるのです。赦しは贈り物であり、憐れみなのです。これは私が受け取ったものであり、託されたものでもあるのです。どちらの理由で赦したにしても、赦せたなら完全な満足を得られます。」 真の赦しは、十字架から溢れ流れている憐れみに触れることから来る。 十字架の赦しの中に溢れている神の憐れみに触れる時、赦す勇気が与えられ、癒される道が開かれる。 闇がどんなに深くても、光を打ち消すことはできない。 すべての希望はキリストにある。自由を得させる力が、真の赦しが溢れている福音にあるからだ。
そして、赦しは、相手の罪に対してなかったことにするとか、大目に見ることでもない。 「 真の赦しとは、あらゆる事情を考慮した上で、罪をしっかりと見つめることだ。 どんな弁解にも惑わされず、罪の中にある全ての恐怖、汚さ、卑怯さ、そして、悪意の面を見つめ、それでも罪を犯した人と全面的に和解することだ。赦しとはそういうことであり、それ以外ではない。 」 この文を読んだ時、自分に向けられた十字架の赦しを思った。 主は私の内側にある全ての罪、汚さ、卑怯さ、悪意、私自身が知る以上のすべての罪をしっかりとご覧になった上で・・すべてご存知の上で、それら一切をご自分のものとして杯を飲み干され、十字架に向かわれた。 「なぜ私をお見捨てになったのですか・・」という悲痛な叫びの中に、赦すために味わわれた痛みがどれほどのものだったのか、それは人間には耐えることができない。父なる神に見捨てられる、それがどんな暗闇であるか、ただ御子だけが味わわれた苦しみであり、私たちの身代わりに味わってくださった暗闇だ。 この購いを通して、罪を犯した私と全面的に和解する道を、神の側からすべて備えてくださったのだ。 赦すことの痛みを真に味わわれた主。しかし、その痛みにまして、イエスのうちには父なる神への変わらない信と、闇の向こうにある新しい希望、そこから開かれるいのちをしっかりと見つめられていたように思います。
「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」。こどものころに教えられた主の祈りの言葉は、特に困難や危機の中にある多くの人を安心させるものだ。 しかし、わたしたちはどれほどに真剣にこの言葉の意味を理解しているだろうか。自分自身が赦しを必要としていることに気づく時、人を赦す力を得るのだとというこの祈りの意味を。」
マーティン・ルーサー・キングJr.は「ストレングス・オブ・ラブ」の中でこのように書いている。
「実際には、そんなことは無理だ、と思う人もいる。愛してくれる人を愛することは簡単だが、面と向かって、または陰で自分を打ち倒そうとしている人をどうして愛することができるのか、と彼らは言う。 「汝の敵を愛せよ」という命令は断じて、ユートピアを夢見る人の理想的な命令ではなく、私たちが生きていくためにどうしても必要なものなのだ。敵にさえ向ける愛こそが世の中にある問題を解決する鍵なのだ。イエスは非現実的な理想主義者ではない。彼こそが実際的な現実主義者だ。 憎しみを憎しみで返せば、憎しみは増加する。すでに星がまったくない夜に、さらに暗い闇を加えるのと同じだ。闇は闇を追い出せない。光だけが追い出せる。憎しみは憎しみを追い出せない。愛だけが追い出せる。憎しみは憎しみを増加させ、暴力は暴力を増加させ、そして破壊は悪循環に陥ってゆく。 愛は敵を友人に変えることができる唯一の力だ。憎しみを持って報いたら、決して敵をなくすことはできない。敵意をなくすことで、敵をなくすのだ。そもそも憎しみは傷つけ、破壊するものだ。愛というのは創造し、建て上げるのだ。愛には購いの力があって、憎しみを一変させる。」 本文より
次回は、心に残った証をいくつか本文中から抜粋したいと思います。
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