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2008年10月07日
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~「最大の贈り物 死と介護についての黙想」を読んで~

                ヘンリー・ナーウェン 著

  私自身、ここ数年間にわたって、自分の病や主人の病を通して、「死」の直前で守られ、生かされている今がある。ただ守られた、感謝だ、ということを超え、死の中で働く神のいのちに触れる恵みの経験だった。

 しかし、死について、さらに知りたいという心の願いを主は答えてくださり、この本をお与え下ったように思います。

 死は、誰も避けることができないものであるにもかかわらず、恐れゆえにタブー視させている。しかし、死を知ることは、いえ、よりよい死を迎えるために準備することは、よりよい生を生きることだと私自身深く思わされている。

死に対する深い確信は、生に対する深い確信とつながっているからだ。

ナーウェンも次のように本の冒頭で述べている。

 「私たちは死を準備できているでしょうか。あるいは、忙しさにまぎれて死を無視しているのでしょうか?私たちはお互いに死の準備を助け合っているのか、あるいはいつまでも変わりなくこのままでいると錯覚しているのでしょうか。私たちの死は友人にとって、新しい命、新しい希望、そして新しい信仰をもたらすものとなるのでしょうか。あるいは単なる悲しみの元となるのでしょうか。もっとも大切な問題は、残された数年間に何ができるのか、ということではありません。むしろ、私たちは死ぬことによって、私たちの愛する人々、愛された人々に神の霊を送る新しい方法となるよう、どのように準備できるかということです。・・・・・・ 

 私が非常に愛している世界への最大の贈り物として、私が死を迎えれるためにはどのように準備したらよいかを書きたかったのです。 」

 

これは、「死」を願っているとか、「死」を美化しているとかでは決してありません。

すでにキリストによって、死の棘は抜かれており、復活を通し、すでに勝利が与えられているゆえに、「死」を終わりとしてではなく、はじまるいのち、希望とまことの生への扉として見ることへの招きであると確信します。

 しばらくはこの「最大の贈り物 死と介護についての黙想」を通して交わりたいと願っています。






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最終更新日  2008年10月07日 22時51分44秒
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