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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年10月08日
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      年を取った人は誰でも死の準備をしなければなりません。しかし、どうやったらよい準備ができるでしょうか。私にとってまず第一の課題は、もう一度子供になることです

~自分の幼児期を取り戻すことです。このことは最大限に自分の自立を保とうという自然な望みに反しているように思われるかもしれません。しかしながら、子供になること、すなわち第二の幼児期に入るということは、よい死を迎えるために基本的なことです。イエスはこの第二の幼児期について次のように話しました。

 「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」

                       マタイ18:3

 第二の幼児期を特徴づけるものは何でしょう?それは新しい依存性と関係があります。人生最初の20年数年間、私たちは両親や先生や友達に依存しています。40年後には、前にもまして人に頼るようになります。若ければ若いほど、生きるために多くの人を必要とします。年を取れば取るほど、やはり生きるためにもっと人を必要とします。人生というものは依存から依存へと生きるものです。

 それは飼い葉おけから十字架に至る旅を過ごしたイエスを通して、神が示された神秘です。周りのすべての人に完全に依存する状況に生まれたイエスは、他人の行為や決定の犠牲者として死んでいきました。彼の旅路は、第一から第二の幼児期へと移行するものでした。幼児として生まれ、幼児として死んだイエスは、私たちが自分の幼児期を何度も取り戻し、イエスと同じように私たちも死を新しい生命に変えられるようにと生きてくださったのです。

 私はこの事実をはっきりと悟らせてくれるひとつの体験に恵まれました。数年前、道を歩いているときに車にぶつけられ、脾臓破裂で病院に担ぎこまれたのです。医者が言うには、果たして外科手術に耐えれるかどうか確かではなかったそうです。私はこの難を結局を結局は切り抜けましたが、手術の前後数時間の間いまだかつて経験したことがないように、自分の幼児期に触れることができました。十字架のように手足をテーブルに縛られマスクをした姿に囲まれ、完全な無力さを経験したのです。全然知らない医者のチーム技術にすべてがかかっているだけでなく、私の存在の根底が無力であることを私は深く感じました。しかし人間を超えた直感で、たとえ私の手術が成功しようとしまいと、神の御手に安全に導かれ確実に生きるであろうと分かっていました。

 この異例な事故は私を幼児のような状態に置いたのです。無力なそして赤ん坊のように世話をされる必要の中で、この経験は私に深い安心感を与えてくれました。すなわち、神の子としての現実感を味わわせてくれたわけです。突然、私は人間の依存性というものは神の依存の内に深く根ざし、この神聖な依存が、より偉大な、より広い生き方の中に死というものを位置づけてくれるということが分かりました。この経験はあまりにも現実的でまた基本的でもあり、体全体の及ぶものでしたから、私自身の存在感を決定的に変え、意識に深く影響を及ぼしました。ここにひとつの不思議な逆説があります。

 人々への依存はしばしば奴隷化へと導きますが、しかし神への依存は自由へと導きます。私たちが神がしっかりと抱きしめてくれていると認識するとき、どんなことが起ころうと、何ものも何事も恐れずに偉大な信頼をもって人生を生き抜くことができるのです。これは画期的なものの見方です。私たちは人々が抑圧され搾取される時に、それを依存のしるしとみなし、真の自由とは独立の結果だと考えがちです。しかし、このことについて他の視点から見ることができます。私たちが神に最も依存するのを、呪いとしてではなく賜物として認めるならば、神の子の自由を見出すことができます。この深い内的な自由によって私たちは敵と対抗し、抑圧の重荷を捨て、愛である神の子供として兄弟姉妹として生きることができる社会的経済的構造を打ち立てることができるのです。これはキリストが自由について話された道だと私は信じています。それは神の子としての存在に根ざす自由なのです。

 私たちは恐れに満ちた人々です。対立、戦争、不確かな未来、病気、そそて何よりも死を恐れます。この恐れは私たちの自由を奪い、脅迫や約束によって社会が私たちを巧みに操る力を与えてしまいます。わたしたちを愛してくださる御方を信頼し、恐れを乗り越えるとき、抑圧や迫害、そして死さえも私たちの自由をうばうことはできません。一旦この深い内的な知識~それは頭よりも心の知識~に到達したとき、すなわち私たちは愛によって生まれ、愛のうちに死に、私たちの存在そのものが愛に深く根ざしているということを認識したとき、すべての悪、病気、死は究極的な力を失うと同時に、痛みは伴うが希望に満ちた真実の聖なる幼児期を思い出させてくれるのです。使途パウロは神の子の完全な自由の経験を次のように表現しています。

 「わたしは確信しています。死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にあるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリストイエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです」        ローマ8:38,39

 

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 次回は、第二の幼児期の意味するものについて交わりたいと思います。

 






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最終更新日  2008年10月08日 08時52分39秒
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