カテゴリ:カテゴリ未分類
「神のことがらもまた、神の霊をほかにしては、誰一人として知ることはなかったのである。私たちはしかし、この世界の霊を受けたのではなく。神からの霊を受けたのである。それは私たちが、神によって私たちに恵みとして与えられたものを知るためである。」 コリント第一2:11,12
神によって私たちに恵みとして与えられたものを知るため・・。 主のまなざしを感じる時がある。「アバ、父よ」と呼びかける、小さな呼びかけにさえも ともにおられることを感じて、祈りが言葉にならない時がある。以前は祈り=言葉・・に随分ととらわれていた時期があったけど、言葉があっても、言葉がなくても、どっちでもかまわない。 神から受けた霊は、恵みとして与えてくださる、注いでくださるまなざしや、共におられること,語りかけてくださる御言葉を、内に教え示してくれる。 ある時は人をかいして、語りかけてくださる。でもそれが確かに主からのものと、分かる。 どうしてそれが分かるのか、言葉では説明はできないけれど、分かるからわかる、としか言いようがないのかもしれないが、でも聖書はちゃんと、与えられたものを知るために、神からの霊を受けた。と書いてある。 ちょうど、母親が、まだ言葉少なげな幼い子供の言葉を理解するのに、似ているのかもしれない。子供が何を言おうとしているのか、言葉が分からなくても母親はよく理解している・・・。母と子が不思議な絆でつながっているからだ。・・・ 神の子とされた私たちも、神とつながっている・・・だから、神からのものである恵みを知ることができるんですね。 繋がっている・・・なんだか嬉しい。繋がっているから、神のまなざしを感じ、憐れみを感じ、平安が流れてくる。 あぁ・・繋がっている喜び。 赤ちゃんは繋がっていようと努力なんてしていない。 繋がっていることに安心しているだけである。母の姿だけをじっと目で追っているだけだ。 母の香りのするほうに、顔を向けているだけだ。確かな絆があることを自然に知っていて、お母さんをいつも求めている。 そうやってお母さんと繋がっていることを日々味わいながら、成長してゆくんですね。 繋がっていることの喜び、「アバ、父よ!」
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|