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セイタカアワダチソウ どこででも当たり前のようにみかけるセイタカアワダチソウ よーく見ると、小さな黄色の花が集まって、とてもきれいなんですね。こんど立ち止まってじっと見つめてみようと思います。すべてが神のいつくしみ深い御手によって造られている。父のわざに満ちているのですね。
ナタナエルは彼に答えた、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」 イエスは答えて彼に言った。 「あのイチジクの木の下であなたを見たとあなたに言ったから信じるのか。これらのことよりももっと大いなることをあなたは見ることになる。」 そして彼に言う。「アーメン、アーメン、あなたがたにいう。天が開いた状態になり、人の子の上に神の御使いたちがのぼったりくだったりしているのを、あなたがたは見ることになる。」 ヨハネ1;50、51
「あなたは見たから信じるのか」。いつの時代も、しるしを求めますが、 「しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません」と御言葉にある。 十字架と復活、それこそがまことのしるし。 「天が開いた状態になり、人の子の上に神の御使いがのぼったりくだったりしているのをあなた方は見ることになる」 創世記28:12のヤコブの夢と重ね合わせて語られている。天が開けるのを見る,それは、御子イエスの購いのゆえに、開かれた門。イエスご自身を門として救いを開いてくださった。唯一の仲介者である方が、地に向けて立てかけられたはしごとなられた。ヤコブはその夢を見、この場所はなんとおそれおおいことだろうと、告白している。 その地に立てかけられたはしごのゆえに、父の家に帰ることができ、主が私の神となられた。 「神が私と共におられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜り、私が父の家に帰ることができ、、主が私の神となってくださる・・」 イエスが、復活の後「わたしは私の父またあなたがたの父、わたしの神また、あなたがたの神のもとに上る。」 と語られたイエスの言葉が、ヤコブの告白「主が私の神となってくださる」と重なる。 大いなることとして主が語られた御言葉とおり、十字架と復活を通して開かれたのだ。 主はまっすぐに十字架に向かって歩んでおられたことを深く感じる。そこから開かれる救いの泉をしっかりと見据えて・・・。
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最終更新日
2008年10月29日 20時53分10秒
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