既に亡くなられた御主人との若き日の生活の中で、彼女は多くの
辛く困難な経験をされたのだと言います。ですから
「もしもこの人が神を受け入れ、救われてさえくれたなら」と言う
彼女の思いはかなり深刻なものであったようです。そこで彼女は
夫が救われる為の総ての手段を駆使したのです。しかしながら事は
全くたやすくはありませんでした。日本の東京大学を卒業され
出世街道を突き進んでいた御主人は筋金入りの無神論者であった
からです。困難な日々は情け容赦なく続いて行きました。
しかし多くの努力にも関わらずある日、「どうにかして夫を
救いたい」と言う楊さんの万策は総て尽き果て、彼女は
主の前にくず折れたのです。その時に姉妹に語られた主の言葉は
次の様なものだったと言います。
「あなたは夫を自分のものだと思っている。しかし実は彼は
あなたのものなどではない。彼は私のものである。あなたは彼と
どんな関わりがあると言うのか。あなたは唯私に従って来なさい。
彼は私のものであり、彼に関する総ての責任を負うのは
私である」と。その時、楊さんは初めて夫に関する
総ての重荷を下ろすことが出来たのです。
間もなく、主は御主人の前に思いがけなくも、あり得ないような
環境を起こされ、遂に彼はそれを通してキリストを受け入れ、
完全に救われてしまったのです
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネ21:22
この姉妹の証をお読みして、ヨハネ21章のこの御言葉の意味に触れたように思います。感謝します