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「 アメイジング グレース 」 ジョン ニュートン の 自伝より
「 私は神の恵みを得ましたが、それでも天に向かわんとする私の努力のすべてを台無しにし、おとしめる罪の肉体に妨害されています。足に石を結わえ付けられた鳥のように、天に飛び立とうとする時、すぐにまた私を引きずり落とすおもりがあるのです。 私が主に受け入れられるのに、何もいらず、また天候のごとく変わりやすい私の心に依存しないとは、何と言う御慈悲でありましょうか。主の御名に祝福あれ、主は、私がいつもこのような矛盾に満ちた存在のままではないであろうという希望を与えてくださいます。 罪と死とこの肉体、そしてその苦痛に満ちた影響から私が開放される幸福な時が近づいていると、私は信じています。その時は、私は、主に仕える目そのもの、耳そのもの、心そのものになるでしょう。 」 祈り より 「 私はクーパー氏ほど、聖書の章句について、あるいは良心の一切の問題について相談をして満足を得ることが出来た人を全く知りません。彼は慰めを与えることはできましたが、自身は慰めを受けることはできませんでした...... 当時私が住んでいた町の貧しい心優しい人たちにとってもありがたい存在でした。彼はよく町の人たちを訪ね、一緒に祈りました。私は、レースの刺繍を主な生業とする素朴な貧しい人たちの教区牧師になる名誉を得ました。 長い間部屋に閉じこもっていなければならない仕事ゆえに、彼らには非常に大きな精神の鬱積がありました。でも彼らは、「そう牧師様(ジョン ニュートンのこと) 私が正しければ、きっとそんな風には感じないはずですよね」と よく言いました。 しかし、クーパー氏のことは彼らはよく知っていました。クーパー氏がまっすぐな人であること、そして彼から慰めを得ることができることを知っていたのです。 私は、主が彼が亡くなる前に彼の病気を治して下さるという希望を抱いていましたが、病気は続きました。彼の人生の最後の十二時間は、彼は話すこともできず、何事にも気付かないようで、どうやら何も感じることができない状態で横になっていました。 しかし、私は,仮の住まいに幕が下り、彼が立ち去ろうとしいたとき、栄光が突然彼の魂に光輝いたのではないかと、今でもそう思えるのです。主は彼をお認めになっていました、そして彼とお会いになることはありませんでしたが、主は彼を愛するお慈悲をお持ちでした。 彼は、大きな苦難を脱した人たちの一人でした。 彼は、この世で二十七年間非常に苦しみましたが、永遠はそれを癒してあまりあるほど長いのです。神の子たちのために残っているあの安らぎと比べれば、この人生で彼が耐えたすべてが何でありましょう。」 クーパー氏に捧げられた弔辞より
今日は愛する姉妹から頂いたメールより抜粋させていただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月08日 11時58分53秒
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