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「あなたがたは以前は暗闇でしたが、今は主あって、光となりました。 光の子どもらしく歩みなさい。 光の結ぶ実はあらゆる善意と正義と真実なのです~ そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 ・・・・・・・・・ 眠っている人よ、目を覚ませ。 死者の中から起き上がれ そうすれば、キリストがあなたを照らされる 」 エペソ5:8~14
光の子らしくあるために、主に喜ばれようと、あらゆる善意、正義、真実の実を、自らの力を振り絞って・・・結ぼうとしてきたのではないでしょうか。 主に喜ばれる、それが何であるのかを見分けなければなりません。 主の喜び、それはすなわち、「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と御父が唯一語られたのは、イエスご自身でした。 私たちのうちには光の結ぶ実、主が求めるところの、善意も正義も真実のかけらもないことを知らなければなりません。 パウロは、 「私は、私の内、すなわち、私の肉のうちには善が住んでいないのを知っています」 と書かれてある通りなのです。 14節に書かれてある、 「眠っている人よ、目を覚ませ、死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされるのです」 と書かれてあることに目を向けてください。 光の子供らしく歩むとは、まさに、ここに書かれてあることそのものなのです。 ローマ書にはこうかかれてあります。 「すなわち、死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになる」 ローマ7:4
私たちにとって、光の子として歩むとは、復活の主に深く結ばれて生きること、 キリストのいのちがあなたを照らし出すことなのです。 暗闇の業、それは何も悪いことだけを指すのではありません。神のいのち、キリストのいのちを介さない、すべてのものは、主の喜びではありません。 彼、すなわちキリストのいのちによって生じたものが、光であるとヨハネ福音書1章に書かれてある通りです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられる。」(ガラテヤ2:20) この方の復活のいのちこそ、私たちを光の子として輝かせてくださるのです。 ハレルヤ!
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