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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年12月06日
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モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。
(ヘブル人への手紙3:5)

 


 モーセがエジプトの地に戻る時の歩みについては、その旅の途中で起きた出来事についてだけコメントする必要があります。

 神は、旅路にあるモーセに対して、彼の妻と幼い子供たちに関するご自分の御旨を、はっきりと示されなかったようです。私たちはモーセが自分の家族を連れて旅に出たことしか知りません。おそらくそれは、モーセにとって「当たり前のこと」だったのでしょう!しかし、神はご自分の御旨を「当たり前のこと」とはされません。神は私たちをしばしば厳しく取り扱わなければなりません。それによって私たちは、自分があることについて一度も主の御旨を求めなかったこと、そして本能的に己の道を突き進んでいたことに、気づかされます。毎瞬真に神に依存して生きることを学ぶのは、たやすいことではありません。主はモーセに、「行きなさい。あなたの家族を連れてエジプトに戻りなさい。」と告げることもできたでしょう。しかし、主はそうされませんでした。

 主はモーセが家族を連れて旅に出ることを許されました。ところが、聖書は告げます。「さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。」(出エジプト記4:24)。明らかに、モーセは割礼に関する神の戒めを守っていませんでした。おそらくそれは、彼の妻であるチッポラが反対したためでしょう。しかし、真実な神は御旨からの逸脱を一つたりとも見過ごすことができませんでした。神はモーセの上に御手を置かれました。そのため、彼の妻はその原因を認めて譲歩せざるをえませんでした。こうしてモーセの命は助かりました。

 おそらくモーセは、この厳しい訓練を通して、自分が一人でエジプトに行かなければならないことを悟ったでしょう。なぜなら、この世の力との厳しい戦いにチッポラが耐えられないことは、明らかだったからです。この世の背後には暗闇の力が控えています。彼女が語った苦々しい言葉は、彼女がイスラエルに対するモーセの務めの妨げになりかねないことを、明らかにしました。そこで、モーセは一時の間、家族をイテロの顧みの下に帰しました。そして、彼は一人で未知のものに向かって進みました。

 一度に一歩です。一日に一歩進めば十分です。主の御前に立った時、モーセはすべてを見通していたわけではありませんでした。エジプトに行く途中、アロンが神から遣わされてモーセと会いました。そして、彼らは一緒にイスラエルの長老たちのもとへ行き、務めを開始しました。「すると民は信じた!」。神は約束をすべて果たされました。その結果、民は信じただけでなく、「ひざまずいて礼拝」しました

 神がイスラエルを解放された素晴らしい物語の詳細は省きます。これから先は、モーセの神との歩みの特徴について、簡単に見て行くことにしましょう。

1. 絶対的で徹底的な神への従順

 モーセは神が語られた通りに行い、それ以上のことを行いませんでした。彼は何度も何度も神のもとに行きました。初期の務めの結果、彼は激しく試みられました。ついに、信仰の戦いが耐えられないほど厳しくなり、彼は言いました。「主よ。.........何のために、私を遣わされたのですか?私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」(出エジプト記5:22-23)。

 それは厳しい試みでした。もしモーセに、神との交わり、確かな召命、神の御旨に関する知識が無かったなら、彼は落胆したでしょう。しかし、モーセは「信仰から信仰へ」進みました。試みを通して信仰が成長して行きました。ただ試みを通してのみ、信仰は成長し成熟することができます。そしてついには、望みえない時に望みを抱いて信じ、あらゆる障害物の前で「それは必ず成就する」と言うまでになります。

 今や神は、抑圧されている民のために、さらに明確なメッセージをモーセに新たにお与えになります。アルファでありオメガであるエホバなる神は、「私は.........する」と七回語られました(出エジプト記6:6-8)。アブラハム、イサク、ヤコブは、「エルシャダイ」、すなわち祝福を注がれる方として、神を知っていました。しかし今神は、エホバ、義なる神として、罪を裁く聖なる神として、ご自分をイスラエルに啓示されます。

 神はモーセに解放を約束されました。モーセはこの解放の大憲章を携えて、苦難の中にあるイスラエルのもとに戻りました。しかし、民の苦しみは大きく、モーセに耳を傾けることができませんでした。彼らは悲しみのあまり、注意を払うことができませんでした。今、モーセは何をすることができるでしょう?どうしたら苦しんでいる民を元気づけることができるのでしょう?モーセは苦悩したに違いありません。モーセはイスラエル人を解放するために神から遣わされました。それなのに、彼はイスラエル人の苦しみをかえって大きくしてしまいました。この期間、モーセには神を信じ抜く信仰が必要でした。イエスは、ラザロが病気だと聞いてから、なお二日同じ場所に滞在されましたが、その時主が持っておられた御父を信じる信仰と同じ信仰が、モーセにも必要でした。

 あなたが携えている神からの解放のメッセージが、解放のかわりに火のような苦難をもたらす時、その苦難にあう人々はあなたを非難するでしょう。その時、あなたは忍耐して主の時が来るのを待ち、主の許しがあるまで行動したり語ったりするのを控えなければなりません。また、あなたは火のような試練がますます激しく燃えさかるのを、黙って見ていなければなりません。これこそ真に「主の苦難にあずかる」ことです。ああ、これはとてもつらいことです!しかし、ただこうすることによってのみ、私たちはキリストの苦難にあずかることを学ぶことができます。主はラザロの墓で深い憤りと心の動揺を感じられました。その時の主と同じように、私たちも深い憤りと心の動揺を感じながら主と共に待ちます。やがて必ず、苦しんでいる人は主の声を聞いて、主の復活の力によって新しいいのちによみがえらされます。

 このように、モーセは苦しんでいる人々のために苦難を受けました。四十年前のモーセは、同胞たちの労役を見て憤慨し、エジプト人を打ち殺しましたが、このような苦難を決して経験しませんでした。かつてモーセは苦難にあずかることができませんでしたが、今はできます。おお、モーセはなんと苦しんだことでしょう!彼は主に向かって叫びました。「あなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません」。イスラエルが過酷な束縛の下で抑圧されていたため、モーセの心は晴れませんでした。主が、ふたたびパロのもとに行くよう、モーセに命じられた時、彼は意気消沈して答えました。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」(出エジプト記6:12)。

 エホバはこの訴えに何も返事をされませんでした。なぜなら、問題はすでに解決されつつあったからです。エホバはただ、モーセにパロのもとに行くよう命じ、「見よ。私はあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる」と仰せられました。これは、モーセが神の力と権威を帯びて、神の代わりに異教の王の前に立つことを意味しました。

 このあと、「主が命じられた通りに彼らは行った」(出エジプト記7:6等)という記述が繰り返し出てきます。彼らは一歩一歩従わなければなりませんでした。モーセとアロンの二人は、静かに、忠実に、神の指示に従いました。神がご自分の御言葉を実証されるたびに、どれほど彼らの信仰は増し加わったことでしょう!神の力の最初の現れは、モーセが以前見た、杖を蛇に変えることでした。そしてそれ以降、信仰の成長に応じて、奇跡はますます偉大なものになって行きました。

 神は最初の三つの天罰をパロに下す時、あの小さな杖を使われました。しかしその後、神はモーセに「主はこのように言われる」と告げるよう命じ、杖を使わずにその御言葉を実行されました。なぜ神は杖を使うのやめたのでしょう?モーセが杖に頼り始めたからでしょうか?

 たとえ神が私たちに与え、神が過去に用いられたものであっても、私たちがそれに頼ることを神は許されません。私たちには主の絶え間ない守りが必要です。それにより私たちは、主ご自身と主の御言葉以外のものに固執したり頼ったりすることから守られます。最後の最後まで、このことは真実であり続けるでしょう。私たちに対する神の不思議な取り計らいの多くは、これで説明がつきます。主から受けたものは、主に戻されなければなりません。私たちは主から授かったものをその都度主にお返ししなくてはなりません。そうするなら、私たちはなにものにもとらわれずに、主の御旨に従うことができます。

 また私たちは、神が働かれる方法についての先入観からも自由でなければなりません。神は初めの三つの奇跡では杖を用い、その後、杖無しでも御業をなすことができることをモーセに示されました。なぜなら、神は御業をなすのに何も必要とされないからです。次の奇跡は、モーセを通して語られたエホバの御言葉によってなされました。モーセが「主はこう仰せられます。『......明日、このしるしが起こる。』」(出エジプト記8:20-23)と語ると、それに続いてあぶの群れがやって来ました。また、モーセが「主はこう仰せられます。『......非常に激しい疫病が起こる。』」(出エジプト記9:1-3)と語ると、その言葉通り疫病が家畜を襲いました。

 神はふたたび方法を変えられました。神はそれまでとは異なる方法で六番目の天罰を下されました。この時、神はふたたび杖を使われました。モーセはこれらすべてのことから、神の御手の中で柔軟で従順であるよう教えられました。またモーセは、一度に一歩ずつ進むことを学び、その日に神がどのように働かれるかについて、先入観を抱いてはならないことを学びました。

  by Jessie Penn-Lewis






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最終更新日  2008年12月06日 09時46分41秒
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