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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年12月07日
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モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立った。
主はモーセと語られた。
主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。
(出エジプト記33:9, 11)

 


 モーセが山の頂にいる間に、宿営で事件が起きました。その事件がきっかけで、モーセは自分を完全に神に明け渡すことになりました。その明け渡しは、彼の生涯の中で最高のものでした。その事件とモーセの明け渡しとの関連はよくわかりませんが、その重大な危機の後に、「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」と聖書は告げています。

 民は神との交わりに関してモーセに頼っていました。しかし、そのモーセが戻ってこないのを見て、民はアロンのもとに集まって叫びました。「さあ、私たちに先立って行く神を造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」(出エジプト記32:1)。民はエジプトの習慣の強い影響を受けていました。エジプト人は礼拝のために外面的な神々の象徴を持っていたので、イスラエルは自分たちにも外面的な象徴が必要だと考えました。アロンは弱く、また民を恐れたため、民の叫びに屈して、目に見える神の代替物を彼らに与えました。そして民は、エホバを礼拝するという名目で、心ではエジプトに向かい、行いでは罪を犯しました。

 山の上で、神は宿営で起きていることをモーセに告げて言われました、「今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」(出エジプト記32:10)。しかし、モーセは神を知っていました。彼は信仰の力を見ていました。彼は、民のために偉大な御業をなさった主の、憐れみ深い御心を確信していました。彼は大胆な信仰によって神に御言葉を示し、「あなたが誓われたことを思い出して下さい」と言いました。モーセは力強く神を説得しました。

 エホバは、「わたしはあなたを大いなる国民としよう」と言われました。しかし、モーセはイスラエルを犠牲にして得られる栄光を欲しませんでした。彼の願いは、民を約束の地に連れて行くことでした。彼は民のために嘆願し、苦しみました。彼の心は、民に嗣業をつがせたいという切なる願いでいっぱいでした。

 他の人々のために祈ることは、深い願いで燃やされて、その人々のために自分を注ぎ出すことです。

 主は苦労してイスラエルを勝ち取り、カナンへの旅路の間も彼らを守られました。モーセにとって、自分と自分の家族が栄光を受けるかわりに、その尊い民が損失を被るなどという考えは、一瞬たりとも容認できませんでした。彼は「神の御顔に嘆願し」(出エジプト記32:11、欄外)、主に御言葉を思い起こさせました。その結果、「主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直され」ました。それから、モーセは主の臨在を離れて、山のふもとに向かいました。彼は、神の裁きが民の罪の上に下る前に、早急になすべきことがあることを知っていました。

 モーセは山頂での聖なる臨在の静けさの中から出て、宿営に下りました。彼は罪に対して憤って、金の子牛を取り、それを焼き、粉々に砕きました。アロンはモーセに弁解して、「民はつい出来心で過ちを犯してしまったのです」と言いました。出来心であろうと何であろうと、モーセには関係ありませんでした。聖なる神の臨在の中から戻ってきたモーセにとって、生ける神から異教の偶像に転じたイスラエルの罪と恥は一目瞭然でした。そのため、彼は言い訳を聞きませんでした。

 その夜は、モーセにとってなんという夜だったことでしょう!彼はその日起きた出来事を熟考しました。彼はよくよく考えて祈った末に、罪を犯した民を助けたい一心から、途方もない決断に導かれました。それまでのすべての苦労にも拘わらず、イスラエルが嗣業を失って、神の臨在を取り去られるという考えに、モーセは耐えられませんでした。

 翌朝になってモーセは民に言いました。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」(出エジプト記32:30)。モーセは山に戻り、まっすぐ一歩一歩登って行きました。ついに彼は主の臨在に到達し、大胆に願いました。「今、もし、彼らの罪をお赦し下されるものなら.........。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去って下さい。」(出エジプト記32:32)。

 モーセがパロの宮殿でエジプトの快楽と富を放棄する決断を下したのは、彼が報いとして与えられるものから目を離さなかったからです。しかし今、彼はイスラエルのために、事実上その報いをすべて犠牲にすることを申し出ました。エジプトでモーセは、究極的な報いを獲得することを望んで、十字架の道を選びました。しかしその後、神との親しい交わりを通して、彼は神聖な犠牲的精神に導かれました。そして、自分の利益を求める心は彼の中からすっかり失せてしまいました。

 「交わりは、協力以上のものである」と言われています。交わりは、霊と霊、心と心の混ざり合いです。ですから、言葉は不必要です。なぜなら、両者は一つだからです。






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最終更新日  2008年12月07日 07時56分46秒
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