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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年12月07日
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モーセの言葉を理解するには、その背後にあるキリストの精神を知り、それにあずかる必要があります。なぜなら、モーセの言葉は強烈な自己否定の精神から出ているからです。ほとんどの人は、そのような強烈な自己否定を知りません。しかし、キリストの教会のためにキリストの苦難にあずかっている人々なら、モーセの言葉の意味を理解することができます。なぜなら彼らは、主との交わりを通して、自分たちの魂を死に至るまでも注ぎ出すことを学んだからです。彼らが自分たちの魂を注ぎ出すのは、主の贖いにあずかるためではなく、犠牲の法則を満たすためです。犠牲の法則が満たされる時、他の人々にいのちが流れます。

 主イエス・キリストにおいて啓示された神の御心から推察すると、エホバは嘆願する僕をご覧になって深く感動されたに違いありません。なぜなら、永遠の過去において、小羊は人々の罪の贖いのためにご自分を御父に献げられたからです。世の基が置かれる前から、小羊はすでにほふられていました

 罪のための供え物の意義をイスラエルに教える計画を、エホバはモーセに示されました。エホバは、神の御子を前もってこの世に示すために、その型をモーセに示されました。神の御子は、すべての型の成就者として、カルバリと呼ばれる場所で供え物になることが定められていました。神の御子は、全世界の罪のための、完全で十分ななだめの供え物です

 神はモーセに、青銅の祭壇に関する指示を与え、贖いが絶対に必要であることを示されました。それによると、雄牛とやぎの血によってイスラエルの罪はおおわれます。その時モーセは、なぜ自分たちが屠られた小羊の血によってエジプトで滅ぼす者から守られたのかを、はっきりと理解しました。モーセは神の立場から罪を見、贖いの必要性を見ました。この啓示はモーセの魂の奥深くにまで達したので、イスラエルの重大な罪にもかかわらず、「神は自分を受け入れて民を赦して下さる」と彼は考えました。

 モーセはすべてのことで自分とイスラエルを同一視し、イスラエルと共に苦しむことを決意しました。モーセは、自分が神のひとり子を予表していることを、まったく知りませんでした。神のひとり子は、人の姿を取って現れ、ご自分を罪人と同一視されました。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」(2コリント5:21)。

 この神の人は聖霊で満たされていたので、主の立場からイスラエルを見て、言いようのない憐れみを覚えました。事実、彼にとって、この世はもはや前と同じではありませんでした。なぜなら、彼は神の御心に引き寄せられ、それと一つにされたからです。その結果、彼は必然的に主の御思いにあずかり、罪を憎む一方で罪人に同情するようになりました。

 主はモーセの嘆願に答えて、「今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け」と言われました。モーセの申し出は主に受け入れられませんでしたが、彼の願いは聞き届けられて、イスラエルは主に棄てられることを免れました。とはいえ、後で彼らの罪が裁かれることは避けられませんでした。

 この時から、モーセはいっそう親しくエホバと交わることを許されるようになりました。それまで、彼は主に呼ばれた時だけ山に登りました。しかし今、彼は自由に「会見の天幕」の中の神の臨在に近づくことができます。「会見の天幕」はその目的のために設けられ、宿営の外に張られました(出エジプト記33:7)。モーセが天幕に出て行く時、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立ちました。人々はこの素晴らしい光景を見ることができました。一方天幕の中では、主が「モーセと語られ」、「人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られ」ました。「彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。」(民数記12:8)。

 私たちはこの時点で、神と神の「友」の会見の光景を垣間見ます。その光景はモーセの内なる生活を私たちに開いて見せます。彼の内なる生活は、神との合一に向かって絶えず発展して行きました。

 それまで、モーセが主の臨在の中に入って主と会談してきたのは、民のためでした。ホレブでは、召命を受けるためでした。シナイでは、まず第一に、様々な律法を学ぶためであり、次に、山頂に四十日間とどまって、神が住まわれる幕屋の型の啓示を受けるためでした。

 しかしここで、私たちは覆いを取り除かれて、神とモーセの親しい交友を見ます。民のために自分を明け渡したあの大いなる自己放棄の後、モーセは主と親しく交わることを許されるようになりました。今やモーセの願いはただ一つだけです。「今どうか、あなたの道を教えて下さい。そうすれば、私はあなたを知ることができます。」(出エジプト記33:13)。モーセはあらゆる障害物を乗り越えて神のもとに行きました。「わたし自身があなたと一緒に行こう」(33:14)という主の約束に勇気づけられて彼は言いました、「どうか、あなたの栄光を私に見せて下さい」。私たちは主イエスの御言葉からモーセの願いを理解することができます。神の御子は地上におられる時、永遠の昔から神の御心の中にあった願いを弟子たちに明かして言われました、「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。.........父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせて下さい。それは、彼らがわたしの栄光を見るためです。」(ヨハネ17:22-24)。

 エホバはモーセに答えて言われました、「人はわたしを見て、なお生きていることはできない」。それからエホバは、ご自分の計画--追放された罪人が神に連れ戻される計画--の予型を示されました。私たち呪われた罪人は、主を見てなお生きていることはできません。しかし、裂かれた岩(キリスト)の中に隠される時、私たちは神の栄光を見ることができます。時が満ちた時、主イエスは罪人のために死なれました。それは、私たちが主の中で死んで、主が用意して下さったところに行くためでした。今や私たちは、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を見ます。キリストは神の栄光の輝きであり、神の本質の完全な現れです

 






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最終更新日  2008年12月07日 08時02分32秒
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