カテゴリ:ジェシー・ペン-ルイス
多くの実「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、多くの実を結びます。」(ヨハネによる福音書12章24節) 「死は私たちの中で働き、いのちはあなたがたの中で働きます。」(コリント人への第二の手紙4章12節) ついに、その麦粒は、人の目から隠されることを喜ぶようになります。それは、踏みつけられることを喜び、神が選ばれた孤独な一角に静かに横たわることを喜びます。それは、人々から「失敗者」とみなされることを喜びます。それは、輝かしい経験からはほど遠い、神の御旨のうちに生きることを喜びます。それは、他の麦粒たちとの楽しい交わりから遠く離れた、孤独と孤立の中に住むことを喜びます。 その小さな麦粒は、キリストと彼の死の中で交わることの意味について、いくらか学びました。そして今、「私のために自分のいのちを失う者は、それを見いだします」(マタイによる福音書16章25節)という御言葉が実際のものとなります。 静かに、確実に、神聖ないのちは豊かな実を結び始めます。その麦粒は、自分自身を与えて、「自分のいのち」から離れました。しかし、麦粒は依然として生きています。今や、主のいのちの中で生きています。 地面に埋められた麦粒は、忘れ去られて満足します!なぜなら、実った畑を見る時、いったい誰がその麦粒のことを考え、それが暗闇の中で経験した悲しみや苦しみのことを考えるでしょう?しかし、その麦粒は満足します。なぜなら、自分の存在法則が全うされるからです。その麦粒は、自分と自分の益を放棄しました。そして今、他の麦粒たちの中に生きています。それは、自分から百倍の実が生じたことを知らせようとは思いません。 そのように、キリストご自身も、彼の魂を死に至るまで注ぎ出されました。その結果、彼は「自分の種(子孫)を見」*、自分の魂の苦しみを見て満足されました**。なぜなら彼は、彼が贖った者たちの中で再び生きられるからです。こうして、神の素晴らしい法則--霊の世界で繰り返される自然界の法則--により、神ご自身によって蒔かれた最初の麦粒は、同じ性質と同じ存在法則--「もし死ねば、多くの実を結ぶ」--を持つ、他の麦粒たちの中に再生産されます。
**イザヤ書53章11節(訳者注) 死から出たいのち「もし死ねば、多くの実を結びます。(中略)誰でも私に仕えるなら、私について来なさい。私のいるところに、私に仕える者もいるべきです。(中略)御父はその人を尊ばれます。」(ヨハネによる福音書12章24、26節) 「なぜなら、あなたがたは死んだのであり、あなたがたのいのちは、キリストと共に神の中に隠されているからです。」(コロサイ人の手紙3章3節) 私たちは、地に落ちて死ぬために下向きの道を行く、小さな麦粒を見てきました。麦粒は「この世にあって自分のいのちを憎み」ました。そして今、そのいのちはキリストと共に神の中に隠されています。 「私のいるところに、私に仕える者もいるべきです」。隠された道を行く孤独な麦粒が、砕かれ、剥ぎ取られることに同意している間、その内側にある神聖ないのちは人々にあふれ流れます。そして、昇天された主との、より強い、より豊かで、より純粋な合一に向かって、静かに成長します。「私のいるところに、私に仕える者もいるべきです」---十字架と墓に至るまで私について来る僕は、私と共に御父のもとに行くでしょう。そして、その人の「いのちは天にとどまる」(ピリピ人への手紙3章20節、Conybeare)でしょう。「私のいるところに、彼らも私と共にいるためです」(ヨハネによる福音書17章24節)
模範としての最初の麦粒「今、私の魂は騒いでいます。私は何と言いましょうか?父よ、この時から私を救って下さい。しかし、このためにこそ、私はこの時に至ったのです。父よ、御名の栄光を現して下さい。」(ヨハネによる福音書12章27、28節) 主キリストでさえ、詩篇22篇で予告されていた荒廃と苦難の時に近づいた時、困惑されました。御父が御顔を隠されたことは、心臓が破れることや、釘や槍以上に、つらいことでした。主はご自分を救うこともできました。主は御父にお願いして、天使の群れにご自分の命令を行わせることもできました。しかし、もしそうしていたら、神と小羊にささげられる初穂たちはどうなっていたでしょう? 「今、私の魂は騒いでいます。私は何と言いましょうか?父よ、私を救って下さい」。しかし、主の祈りは、「父よ、御名の栄光を現して下さい」でした。
---あなたの御名の栄光を現して下さい。 あなたが私の苦い叫びに対して沈黙される時、 人々が私を非難し、私をさげすむ時、 「神に見捨てられたのだ」と嘲られる時、 私が水のように注ぎ出される時、私の心臓が停止する時、
「勝利を得る者を、私と共に私の座に着かせよう。それは、私が勝利を得て、私の父と共に父の御座に着いたのと同じである。耳のある者は、(神の)霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」(黙示録3章21、22節)
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