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先日、主人と喧嘩をした。主人が取った行動が理解できなくて、喧嘩になった。 でも、・・・すべてのことの中に主が関わっておられること、主はどんなことを教えて下さろうとしておられるのか、結局そこに引き戻される・・ 「あなたにとって必要なこと、それは自分で何がよくて、何がいけないのかと判断することを手放し、あなたの頭を通さず、私に叫ぶこと」 という語りかけだった。 自分の考えや思いとは違うことに対して、そもそも、それが正しいとどうしていえるのだろうか。 私は、主にすべてを委ね、自分の頭で考えることを手放した。 世の中の常識は、ちゃんと自分で考えられることが美徳であり、大人の基準ですらある。しかし、主にあっては全く違う。 主を己の知恵、主を己の判断とすることは、まことの知恵を得る。 あんなに怒れたこともなんだか不思議と落ち着いた。 十字架を適応してゆくことは日々であり、小さなことのなかにある。 小さなことに忠実であるということの意味を思わされた。
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