さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」 マタイ4:1~7
この二つの誘惑には、一つの共通点があります。それは「神の子なら・・・」という悪魔のささやきです。たしかにイエス様は神の子でいらっしゃいます。しかし、それは悪魔の言う意味での神の子とは違うのです。悪魔は、イエス様は、「神の子なら、石をパンに変えたり、神殿から飛び降りたりして、人間と違うところを見せてみろ」と言いました。つまり、神と共に天の御座に座しておられる神の子はこうあるべきじゃないかと、悪魔は言うわけです。
しかし、イエス様は、そうではない「子」のあり方をお示しになりました。それは神様を「父」と呼んで、その愛に全幅の信頼を寄せる「子」のあり方です。「わたしは神様に命じるのではなく、神の言葉を聞いて生きる」「わたしは神の愛を試みないで信頼をする」と、イエス様は仰ったのです。
まことの人としての姿、人として生きることの祝福がどこにあるのかを示して下さっていることを感謝します。
「わたしのことばを聞いて生き、信頼して生きよ」
そんな御声が聞こえてきます。