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37:11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。 37:12 それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。 37:13 わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。 37:14 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。 エゼキエル書
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。」 そのように語りかけてくださる主の言葉を感じています。 「これらの骨はイスラエルの全家である」・・というお言葉の中に、自分自身を見、まったくの無力さ、愚かさは枯れた骨そのもの・・・ 「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる」と。 この言葉に重なる十字架の死。希望や望みといったすべてのことすら手放された状態。しかし、それゆえに、語ってくださる。 神の側から、神の方から、語られるのです。 「わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。」と。 私たちを死のただ中から、死の殻である墓を開き、そして引き上げてくださるのは、主。主がこれをしてくださる! なんという喜び。なんという希望でしょう。 キリスト・イエスのゆえに感謝します!というパウロの叫びを思い起こします。 死からいのちの領域の中に移された者への祝福、「わたしが主であることを知るようになる」という大いなるいのちの喜びが備えられています。それは 主である方を知ることはいのちそのもの、なぜなら、永遠のいのちとは・遣わされたイエスキリストを知るようになることにあるからです。 「また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる
「わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる」というお言葉は、「わたしのいる所に、あなた方をもおらせる」・・という主のお言葉と重なり、 「そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」とお語りになった言葉も、 「神からの霊を受けた・・・・それは私たちが神によって私たちに恵みとして与えられたものを知る」(コリント第一2:12)という御言葉と重なるのです。 すべては主の側から与えられるいのち、私の弱さの内に(死の内に)完全に現れる神の力を待ち望む幸いにとどまりたいと願わされます。
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最終更新日
2009年01月25日 00時32分03秒
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