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[イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた] ヨハネ19:41 まだだれも葬られたことのない新しい墓。これは新しいものの方がいいから、新しい墓に主イエスが葬られたということではありません。 お墓は私たちにとって人生の行き着く場所、空しく希望のない場所の象徴でした。しかし、主イエスが納められた新しい墓が表す意味はなんと希望に満ちたものでしょうか!! それは、最も希望のない場所が、十字架のあがないが成し遂げられた後、イエスご自身が初穂としてよみがえられた新しいいのちのはじまりの場所となったのです。 信じる者にとって、もはや墓は絶望の場ではなく、「わたしを信じるものは、たとい死んでも生きる」と語ってくださった御言葉の成就、いのちの扉、まことの希望としての証の場・・ 人生の終着点ではなく、新しい人生の出発点となる墓。限りある命の墓標ではなく、永遠の命の希望となる墓。私達の人生を空しくするものではなく、価値あるものにする墓。これこそまさしく、「まだ誰も葬られたことのない新しい墓」。私たちの新しい命は、このイエス様が葬られた新しい墓から、私たちに与えられるのです。 よみがえられた主はマリアに向かってこう話されました。 「なぜ、泣いているのですか。」 私も、以前ある姉妹の死を通して、悲しみで泣き崩れそうになったときがありました。しかし、そのとき、イエスのみ声を聞いたのです。 「わたしを信じる者はたとい死んでも生きる」 その御言葉とともに、なぜだか、「あ、姉妹は生きているんだ」ということがはっきりわかったのです。 私にとって、死が深い悲しみではなくなった瞬間でした。そして、涙はすっかりぬぐわれたのです。 「なぜ、泣いているのですか」というイエスの御声が、「もう泣かなくてもいいのだよ」、という優しい御声として響いてきます。 死は私たちに大きな悲しみをもたらし続けてきました。しかし、新しいお墓からはじまった新しいいのちの希望は、信じる者の内にすでに開かれているのです。私たちの涙を本当の意味でぬぐい、喜びへとまったく変えてくださったのです。
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