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大麦の原種と大麦
大麦の蒸しパン(本来は膨らし粉が入れられていない) そこで彼らは、イエスに言った。「それではわたしたちが、見て、あなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの先祖は荒野でマナを食べました。「彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。」と書いてあるとおりです。 イエスは彼らに言われた。 「まことに、まことにあなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。 というのは、神のパンは天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」・・・・・
「わたしはいのちのパンです。あなたがた先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。 しかし、これは天から下ってきた生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。また、わたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」 ヨハネ6:30~ 群集はイエスを信じるために、しるしを要求しました。しかし、 「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。 」ルカ11:29 と書かれてある、ヨナのしるし、に表されるしるしとはいったい何でしょうか。 それは死と復活を表すものでした。 そして、ご自身をいのちのための肉、まことのパンとして示され、十字架の死と復活を語られているのです。 レビ記の中に、初穂の捧げものである大麦は、過ぎ越しの祭りから3日目に捧げられたものであることが書かれてあります。 コリント第一15:20には「しかし、いまやキリストは、眠ったものの初穂として、死者の中からよみがえられました。」 キリストご自身が初穂の捧げものとして3日目によみがえられたことを通して、いのちを与える霊となられ、私たちのうちに住まわれるお方となられたのです。 大麦は小麦よりもずっと安く、大麦はそのまま、または小麦と混ぜて貧しい人の食料としたり、家畜の餌にするようなものでした。大麦をパンにするためには、さらに麦粉にされなければなりません。麦粉のように砕かれ、さらに油を混ぜ、煉られて焼かれてパンになるのです。キリストの麦粉のように砕かれた、苦難に満ちた生涯を思わずにおられません。 ご自身をまことのパン、食べられるパンとして話されたことの意味を改めて深く思い巡らしています。 「食べる」という行動も霊的な影であり、そこから多くのことを知らされます。 人の体は食べることによっていのちを維持、また新しくされ、この体が成り立っています。食べるということは、食物にいのちを委ねて生きている・・ということ。 食べ物を体内に取り入れ、自分の血となり、肉となるわけです。 どんなに食に対する知識があっても、実際食べなかったらいのちとはならないわけで また、他の誰かさんに食べてもらってでは、自分の体は養われない。自分で食べて、自分のいのちになる。 イエスを信じるということも同じ。具体的にイエスご自身である御言葉を自分のものとして信仰によって食べる(全存在の中に受入れる)ことによって 裂かれた肉としてのキリストのあがない、流された血潮が私自身のためであり、さらにキリストと共に十字架につけられたということが日々の私の経験となり、そして、キリストと共に復活するという望み、その実際の中にすっぽりと、自分の内の経験になった。見なされたわけです。 「私はキリストと共に、十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられる」ことを、まことのいのちのパンを通して味わってゆくのです。このパンとなられたお方イエスが「わたしを食べる者も、わたしによって生きる」と言われたのです。アーメン! 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、わたしの内にとどまり、わたしも彼の内にとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」 ヨハネ6:56、57
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