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夜、与えられた御言葉だ。なんだろう・・そう思いながらも、思いの中で巡らしていた。 でも与えられた御言葉が、起こった出来事の中で、身を避ける岩場のように私の思いを守り、その影にかくまってくださった。 私にとっては思いがけないようなことも、主はすべてご存知。 痛みは受けるけど、相手の思い、またそれぞれの思いを受け止めるスペースが与えられ、自分がどこに立っていればよいかがわかって、ただ、じっとそこに座った。 あぁ・・ここにいればいい。そう思いながら、起こっている事柄を見つめていた。 問題が解決されるとか、よい方向に向かうとか、そのことに希望があるのではない。 主の側に、いえ、主の中にいる、深い安息はいつでもそこから流れてくるのである。 与えられた御言葉は、語られたとおりに動いてゆく。動いてゆくのだ。どんな闇もそれを押しとどめることはできない。 御言葉の動きの中で、私たちはそれに乗っているだけ。 そしてその中で、主の体温を感じ取るように主を知り、守られていることを知るのである。ハレルヤ!
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