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「神の王国とは次のようなものだ。すなわち、一人の人が大地に種を蒔き、 夜寝て朝起き〔ることをくり返し〕ていると、彼自身の知らない間に種は芽を出し、成長する。 大地がおのずから実を結ばせるのであって、まず茎、次に穂、次にその穂の中に豊かな穀粒を造りなす (マルコ4:26~)
種まきのたとえを味わいながら、「良い地の上に」という所に思いが止まった。 豊かな収穫のかぎは、種の命を受け止める土にあると言える。 土の中には1グラム中1億5000万~3億の微生物が住んでいるとされています。種は土に植えられなければ、一粒の種のままですが、ひとたび土に埋められると、目に見えない命が、種の命を芽生えさせる力を与えるのです。 収穫を期待する農夫なら、だれでもその土作りに心を配ります。当然、石や邪魔となる草も取り除かれ、柔らかく掘り起こされた土、生きた土の中に種がまかれるゆえに、夜は寝て、朝起きることを繰り返し、そうこうしているうちに育つのです。 「土は生きている」という考えで土の中の生命体を大切にする、それが昔から大切にされてきた農法です。「地は人手によらず実をならせる」、それはいのちはいのちによって生み出され、いのちによって成長させられる、これが自然の営みだからです。 良き地として、新しく御霊によって生みだされたいのちの内にあること・・それは (ヨハネ3:3~・・人は新しく生まれなければ神の国を見ることができません。) ( 第一ヨハネ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 ) と書かれてあるとおりです。 そして、その良き地は、良く掘り起こされた柔らかな地であること。 (マタイ11:29 わたしは心優しく、へりくだっている・・・) イエスの柔和さと謙遜は、まさに良き地としてやわらかく掘り起こされた地そのものではないでしょうか。それはイエスご自身も、 「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学」ばれました。(ヘブル5:8) 私たちの農夫は、「地が人手によらず実をならせる」ようにと、良き地に心を配り、余分なものを取り除き、固い土を艱難辛苦という鍬を使って掘り起こし、やわらかな土、明け渡された土へと導かれます。 最後に、良き地としての大切な御言葉があります。 第一テサロニケ2:13 には次のように書かれてあります。 「神の使信のことばを受けた時、それを人間の言葉としてではなく、事実通りに、神のことばとして受入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」 信じているあなたがたの内に、いのちの御言葉が働く。・・・のです。 「良き地に蒔かれるとは、御言葉を聞いて受け入れ、 30倍、60倍、100倍の実を結ぶ人たちです。」 マルコ4:20
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最終更新日
2009年03月08日 01時37分50秒
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