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「 なぜなら、わたしの名のもとに二人あるいは三人が集まっているところでは、彼らのただ中に私がいるからである」。 マタイ18:20(岩波訳) この御言葉を突き詰めて読んでいくと[わたしの名において、(もとに)」という言葉と[わたしもその中にいる」は、場所と方向が含まれており、主の御名の領域を示している。主イエスご自身が偉大な引力であることを教えているそうです。つまり、集まりの中心である主に、わたしたちは引き寄せられているということです。主の御名には権威があり、引力がある。御名は信じる者たちが集まる中心だということだ。 主のもとに引き寄せられ、真に結びつける力はこの御名に! 集まる、会う、ということが、私たちの思いを超えて、主ご自身の引き寄せるその力に導かれていることを知るとき、あらためて驚きに満たされる。 そして、イエスを中心とした真の交わりからもたらされる恵みについて、これを読むたびに、ますます交わりを欲する思いが増し加わってくるのです。 「実際、私の霊において、〔また〕その方の子〔について〕の福音において私が礼拝している神が、〔次のことの〕証人である。〔すなわち、〕私がいかに絶えずあなたがたのことを想い起こしているか、 〔そしてその際、〕私が自分の祈りにおいて、必ずやいつの日かあなたがたのところに行くことを神がその意志(おもい)においてよしとされるようにと、〔いかに〕常に願っているか〔、ということである〕。 私は、あなたがたが力づけられることをめざして、あなたがたにいくらかでも霊的な賜物を分け与えるために、あなたがたに会うことを熱望している。 それは、あなたがたと私の双方が互いに抱いている信仰によって、あなたがたのうちにあって、共に励まし合うことである ローマ1:9~12 (岩波訳)
「わたしはあなたがたに書きおくらねばならないことはたくさんあるが、紙とインクでそうしたいとは思わなかった。私が願うところは、むしろあなたがたのもとに赴いて、口頭で語り合い、私たちの喜びが満ち溢れるものとなることである。」 ヨハネ第二の手紙12節 (岩波訳) 主が備えてくださった交わり、主がその中心におられ導いてくださる。 「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。」・・・(ヨハネ21:9) 主ご自身が味わうべき食事を備え、招いてくださる。 「イエスが彼らに言う、「今捕ったさかなの中から〔数匹を〕持って来なさい」。 あぁ、与えられた魚を持ち寄り、ともに焼いて食べる喜び。 「 さぁ来て、朝の食事をしなさい 」 今も語りかけ、招いてくださっている。その声に引き寄せられ与る喜び。 主の御名のもとは暖かな火が熾されているのです。
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