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「人は、天から与えられるのでなければ、 何も受けることはできません」 ヨハネ3:27
主はほめたたえられるべきお方。 主は最善な時に最善の備えを与えてくださるお方。 弱さを賜物としておあたえくださったお方は生きておられる。 息子を通して主はいのちを現して下さっていることを そのことを改めて知らされた。 息子がまだ胎にいたときから、息子の名前を「主よ、あなたがつけてください」と求めて祈った。 息子につけた名前は、息子が生まれた瞬間に、与えられた名前だった。 与えられた名前の意味を幾度となく思い巡らし、そのことによって絶えずそこに戻らされ、私自身息子の名前によって支えられてきた 「大いなる喜び」 「大きな喜び」 「主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」 ゼパニア3:17 あらためてその名の意味をかみ締めている。 昨日、息子が軽度の知的障害だと診断された。 私の中では成長とともに気づいている所もあったが、そう診断されることが 果たして息子に必要なことであるのか、という迷いのようなものもあった。 しかし昨年あることをきっかけに、それが必要だという方向性を主が示してくださった。 今年の春で息子も中学3年。受験の時期を迎える。 息子にとって一番良い道を、主ご自身が備えてくださっていることを感じながら あらためて感謝が溢れてくる。息子が小学校時代、場面かんもく症だったことも 学校社会の中で生きてゆく中で、息子自身、自分を守るため必要なことだった。 中学になって話すようになったことは、奇跡に近いことを改めて医師から知らされた。 主がそのように息子の口を開き、導いてくださったとあらためて思う。 与えられた名前に、私自身が引き戻されながら、導かれてきたことを心から感謝します。 どのようなことの中でも、静かな喜びが変わらず内に満ちている恵み。 息子のことを通して、心から主を礼拝いたします。
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