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明日は母の一周忌。 一年前のブログを読み返しながら、そのときの記憶が鮮明によみがえる。 母の葬儀と桜の花びらが散る頃と重なった。火葬場の周りに咲く桜が、風に吹かれて花びらが舞い散るその光景は、まるで映画のワンシーンを見ているかのように美しかった。 「桜の花というのは、一年をかけて育んできた命の結果が花なんですよ、花が咲き、散ることで一つのサイクルが終わるんです」 と桜の花を長年こよなく愛する人が語っていた。 一番最後に美しい花を咲かせ、散ってその一年を終わらせる・・・・ 桜の花の最後をこのように美しく着飾らせ、散る花びらを風になびかせるお方は この体をも、どれほどに深い配慮の中で、日々瞳を守るまぶたのように守り、ご自身を与えたもうほどに、その住まいとしてくださったほど愛しんでくださっているか。 「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」と語られた主は、この体が朽ち行く時に、ご自身の栄光で包んでくださる。 十字架は栄光の輝きに満ちている!
母が精神を病んで苦しんできた道のりは、どちらかといえば真冬の強い風に長い間さらされて、一見枯れているかのように見える桜の木のようだった しかし、母の最期を通して、主は私の内に十字架の愛の深さを示し、あがないの愛に触れさせてくださった。全身が震えるほどの深い感動に包まれた。 母が最後に残してくれた最も尊い十字架の愛、美しく咲いて散る桜の花のように、私の心の奥深くに刻まれている。 母を与えてくださった主を賛美いたします。
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