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パウロはガラテヤにいる彼の霊的な子供たちのために、「私の小さな子供たちよ。キリストがあなたがたの内に形造られるまで、私はふたたび産みの苦しみをします」(ガラテヤ人への手紙4章19節)と叫びました。この祈りは、すでにクリスチャンになっている人たちのために彼がささげた祈りです。「私の小さな子供たちよ」、あなたがたは再生されました。しかし、キリストご自身があなたがたの内に形造られるまで、私は産みの苦しみをします。それは、あなたがたが新たに生まれる以上のことです。それは、新生した人の内にキリストご自身が形造られることです。信者の胸の内の貴い黄金の小箱が開かれて、その中に黄金の小箱よりも明るく輝く別の宝が納められます。キリストご自身の生ける臨在という宝石が、信者の心の中に納められます。 「私の小さな子供たちよ、あなたがたは新しく生まれました。しかしあなたがたは、あなたがたのもとに来て、あなたがたの内に住まわれる、さらに偉大な方に欠けています。キリストがあなたがたの内に形造られるまで、私は産みの苦しみをします」。これは人格が形成されることではなく、一人の方が来て私たちの内に住み、そうして私たちと一つになり、私たちを統べ治められることです。これにより、私たちは心の王国の中で次のように歌います、「一人の男の子が私たちに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は『素晴らしい方、指導者、大能の神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。彼のまつりごとと平和は増し加わって終わることがない」(イザヤ書9章6、7節)。それは、心の中にお生まれになるキリストです。キリストは信者の内にあって、回心の生活を営まれるだけでなく、キリスト生活、神聖な生活を営まれます。それは、クリスチャンが一人で戦ったり、もがいたりすることではありません。それは、クリスチャンが心の奥に主を迎えて主に戦っていただくことであり、神の住まわれる宮になることです。それによって、無限なる方は「私は彼らの中に住み、彼らの中を歩む。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」(コリント人への第二の手紙6章16節)と仰せになることができます。「彼らは私の民となり、私は彼らの神となる」ではありません。最初は神です。まず最初に、神が彼らの神となり、次に、彼らが神の民となります。 傍らにおられるのでもない。 彼は明け渡された霊の内に住まわれて、 そこに私たちの天を造りたもう。
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