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復活した"脳の力" 1115 脳卒中に倒れた学者の再生への軌跡を追う。アメリカ・ハーバード大学の神経解剖学者だったジル・テイラー博士は37歳で脳卒中に倒れ、言葉や体の自由を失った。しかし、8年に及ぶリハビリを経て彼女は再生を果たす。
脳卒中によってひらめいたこと それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、歓び、そして同情をけなげに表現し続けているのです P162 脳卒中で倒れた脳科学者の体験記を翻訳している。 ハーバード大学の脳神経学者だったジル・テイラー博士は、1996年のクリスマス直前のある朝、激しい頭痛とともに目覚めた。左目の奥が刺すように痛かったという。だが、偏(へん)頭痛持ちだった博士は、血流が悪いせいだと考え、フィットネスマシンで汗を流し、シャワーを浴びてしまった。 自分の脳で脳出血が起きていることに気付いたとき、すでに左脳の言語野は侵され、言葉をしゃべることも、理解することも、ままならなくなっていたという。 病院に担ぎ込まれ、手術により一命をとりとめた彼女は、その後の8年をかけて懸命のリハビリに励み、見事に言葉を取り戻し、元の職に復帰することができた。脳の神経細胞は(原則として)再生しないので、出血により侵され、失われた神経細胞は元に戻らないが、残された神経細胞を訓練し、博士は、ほぼ脳卒中以前の生活ができるところまで回復した。脳は驚くほど柔軟だ。それを脳の「可塑(かそ)性」と呼ぶ。 それにしても、脳科学者が、自らの脳が壊れていく様子を逐一観察する機会など滅多(めった)にない。博士によれば、おそらく世界で初めての事例ではないかという。 脳には個人差があるが、博士の場合、言語を司(つかさど)る中枢は左脳にあり、そこが侵されたために言葉がしゃべれなくなり、他人の言葉も聞き分けるのが困難になった。友人の言葉は犬の鳴き声みたいに聞こえたという。 巷では右脳と左脳の機能の違いが「右脳は直観、左脳は論理」などと喧伝(けんでん)されているが、それが本当かどうか、脳科学者の間でも意見が分かれるようだ。人間の脳は実験することができないので、仮説を立てることは可能だが、なかなか実証することができない。その意味で、テイラー博士の体験談は、(少なくとも彼女の脳に関する限り)右脳と左脳の機能の違いが明白にある、ということの一つの証拠といえるだろう。 左脳の機能が低下し、右脳の機能が目立つようになると、何が変わるのだろう? テイラー博士が挙げている例は実に興味深い。言語機能が失われ、物事を論理的に筋道だって考えることができなくなる。他人の言っていることが理解できない。身体の境界がわからなくなり、周囲と渾然(こんぜん)一体となり、まるで「流れる」ような感覚に陥る。つまり、空間の感覚が消えてしまう。また、過去・現在・未来という直線的な時間もなくなり、あるのは「今」だけ。 しかし、絵(映像)を思い浮かべて考えることはできるし、しゃべっている人の顔の表情で、その人の気持ちはわかるという。また、宇宙と一体化し、とてつもない幸福感に浸れるそうだ。 脳の神秘は、まだ完全に解明されてはいないが、「右脳」を重視した生活も、まんざら悪くない、とテイラー博士はいう。彼女のリハビリは、同じ病気を抱える多くの患者さんに勇気を与えた。 久々に感動する科学の話に触れた気がした。(たけうち・かおる=サイエンスライター) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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