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息子の進学希望の学校で、教育相談がもたれたのだけど、行ってみたら結局、親と子、別々の相談となった。私は案内された狭い部屋で、簡単な書類に記入し、待っている時間、祈りながら過ごしていた。 祈っているうちに、人になられたキリスト、今も人としての性質を持っておられ、なお神であられるお方が、内におられるという思いに導かれ、喜びに満たされた。 今まで人になられたキリスト、ということがほとんど、分かっていなかった 知識の上では、そう、理解しているつもりだった。 内におられるお方がどのようなお方であるのか、主を知るということが、これほどに喜びを伴っていること、いまさらながらに驚きはじめている。 「キリストの御霊」というその言葉の中に、どれほどに大きな主の愛と成し遂げられた業が凝縮されているのか、主の愛の大きさに、ただただ圧倒される。 嬉しくて泣いてしまったのだけれど、泣き顔のまま、息子のところから戻ってくる高校の先生に会うわけにも行かないので、溢れる気持ちを抑えつつ、涙をぬぐった。 戻ってきた先生との話し合いも、平安の内に伝えるべきことはしっかりと伝えることが出来た。 最後に息子の印象について、話してくださった。緊張はしているようでしたが、一生懸命に質問に答えてくれ、誠実さがとても伝わってきましたよ、と。 無事に教育相談が終了。帰り道、息子の顔はニコニコとしていた。
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