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というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン
患難、それは神の恵みを具体的に知るために備えられ、用いられる道具 患難そのものはなんら喜ばしいものではないし、それを望んでいるということではない。 「 患難は忍耐を生じさせ、 忍耐は確証を、確証は希望を生じさせる〔ということを〕。」 ローマ5:3、4 与えられた慰めによって、神が共にいてくださるということの確かな証が内から溢れ出、主にある希望、信仰によって生みだされてゆくのです。 すべてのことが神から発し、神によって成り、神に至るという、(これは何たる希望でしょう!)この御言葉を味わい、患難の真っ只中で安息を得るのです。 私たちの内に神の愛が、そうです!私たちの内に与えられた御霊によって、豊かに!豊かに注がれ続けていることを知る。ハレルヤ!
「 キリスト・イエスにあって、」これこそすべての秘訣であり、 患難を通してこれら一切の恵みが内に押し寄せ、なだれ込んでき さらに、与えられた慰めがいのち、与えるいのちとなって流れてゆくのです。
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 ローマ5:2~
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