カテゴリ:カテゴリ未分類
* Dr.Luke的日々のココロ *より抜粋 (またまたいただいてきました♪) 心理的慣性-信仰VS.大脳辺縁系-
かつてリンカーンが奴隷解放宣言をした瞬間、アメリカの奴隷はすべて消滅しました(完了形)。法的に、客観的には。しかしそれまで奴隷であった人々は、その事実を知らないため、あるいは知ったとしても信じないため、依然として過酷な主人を恐れ、自分は単なる奴隷と思い込んでいるのです。その思い込みに従って彼らは行動し、その結果を自らに招きます。自分たちの新しいアイデンティティ(=自由人)や、新しく所有した権利を主張することもできません。心がそれまでの経験によって萎えているからです。過酷な主人もできるだけ彼らを騙して、そのまま自分の手元に置こうとするでしょう。ここに彼らの客観的立場と主観的経験のズレが生じるわけです。 私たちがメッセージで語ることは、子があなたがたを自由にするのであれば、あなたがたはまことに自由な者となる、と主イエスが言われた、と告げるだけです。後は聞く側の問題。
よく言われますが、馬を水辺までは連れて来れるが、実際に水を飲ますことはできないと。それは馬自身の決断に任されるのです。クルシチャン化の原因は- ・思い(mind)に種々のフィルターがかかっており、そのままに言葉を聴くことができない(認知の歪み)。 のです。すでに私たちは客観的事実として、過酷な奴隷状態から解放されて、神の夏休みに入っているのです!では、その夏休みをあなたはどう過ごしますか?-これがクリスチャン生活のすべてです。そして富んでいる者はますます、なのです。
十字架はこの旧い私と新しい私の交換の場であり、そこで旧い価値観・生き方のパタンが新しい価値観・生き方のパタンへと置き換わるのです(再条件付け)。まことの十字架って、素晴らしいと思いませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月30日 09時51分02秒
コメント(0) | コメントを書く |
|