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梅雨がようやく明け、太陽の日差しが眩しい。朝から気温が上昇し 手を伸ばして洗濯物を竿にかけるだけでくらくら(=∀=;) 透析が終わったあとは、けだるさ、思考力も低下して、本当にぼぉ~となるのだが、そこに夏の暑さ。 ひと夏を越えることが、本当によっこらしょ・・・という感じ。休み休みの家事をしながらカタツムリのような生活をしています。
弱さの中に置かれるという事が、神の深いご計画の中にある 弱さの中に、神はいのちの食物を備えていてくださる ただ単純に手を伸ばし、その恵みの食卓に与る。真の食べ物は、主そのもの。 健康であったときには、見えていなかった恵みの世界が 足を踏み入れるほどに開かれてくる。 十字架を背負ってついてゆくということが いかに人の知恵によってはその歩みは理解することができず、そのコツさえも全く閉ざされているということ ただ主ご自身が、はじめて歩きはじめようとする幼子の手をとって、 「ほら、こうするのだよ」と 御霊によって直接教えてくださるまでは、本当になにもわからない。そんな感じなのです。 それでも、まだまだその歩みはよちよちで、何度も立ち止まったり、転んだりしながら、 それでも手をとって共に歩んでくださる主に導かれながら、なのです。 でもね、歩き始めた子供が、いろんなことに興味を抱き、転ぼうと、よろめこうと構わないほどに、歩み始めて開かれ、広がる恵みの世界が実に楽しいのです。
十字架を背負ってついてゆく、その歩みのコツを主から学んだ人は幸いです。
「 弱さの中に、いのちの木が植えられている その只中で、豊かな実に与る その芳醇な果実は 死を通して結ばれたいのちの実 その甘さは癒しをもたらし その実を食べる者は生きるからである。 」
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
第二コリント12:9
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