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子供の頃、日曜と祭日以外、オレと妹2人、そしてオフクロの夕食
の時、オヤジはまだ会社、炊き立てのご飯をお櫃から、まず仏さんのご 飯、そしてオヤジの茶碗に、ほんの少し、二口か三口分くらいのご飯を よそって、いつものオヤジの指定席に、それからめいめいの茶碗にご飯 をよそってからいただきます。 このときの「いただきます」は、何にむかって言っていたのかという と、オレタチが夕食のときにまだ会社で仕事をしている、オヤジに向か って言っていたような気がする、物心がつくかつかない頃に、「なんで ェ~」と聞いたことはあるかもしれないが、そのことについてきちんと 説明を聞いたことはなかったように思う、ただただ、毎日毎日、儀式の ようにきちっと同じことが行われていたことは確かである。 オフクロはオヤジが外で仕事をし、その陰でこうして三度、三度、きち んとおマンマが食えるなんて、言った事はたったの一度もなかったが、 毎日、毎日、まだ帰ってこないオヤジの茶碗に俺達より先に、そっとご飯 をよそって、オヤジの箸がおいてあるいつも座る席に、それから各自の 茶碗によそってから、いただきますで食事が始まる、いつのまにか、 このいただきますがオヤジに向かい、それをする事によって、子供の心の 中にオヤジの存在、家族の中でのオヤジの立場、地位といったものが作り 上げられてしまった。 結婚して同居ではなく、別に所帯を持ったわけだが、オレのヨメも誰か に言われたわけではなく、何度かオフクロがそれをするのを見ているうち に、まったく同じことを、それを見て育った息子や娘たちが同じことを、 しているのかどうか、するのかどうかは分からない、他所の家では殆ど そんなことをしていないようであるが、この習慣は引き継いでほしい習慣 のように思う。 それと3年前にオヤジが亡くなってからオレの家に仏壇を引き取る、それ までは、オヤジの家に行くと、真っ先に仏壇手を合わせていた、それを見て 子供が育ったために、2人とも家に来ると同じように真っ先に仏壇に手を合 わせたり、何かお土産を持ってきたときには、必ずそのお土産を仏壇に供え ている。 これも先祖というもの云々を、口で何度言うよりも、子供は親の言う事は 聞かないが、親のする事は見ているの典型のようなもの、もうじき、孫の 「航大」も家に来るたびに真っ先に、仏壇になんてことに、いやまだ今は、 オレの家にくるなり、家をくるっと見渡してから、「わァーン!」と、 一泣き、これを直す事が先か。 ■「今日の言葉」■ 「反省には事実をありのままに 見つめる勇気が必要である」 「モン・サン・ミッシェル修道院」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 12, 2004 12:17:49 PM
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