11月13日(日)福岡市舞鶴公園。
「さよなら原発!1万人福岡集会」に参加しました。
朝の会場です。けっこう人が集まっているな~!くらいの印象でした。
ところが、お昼近くになってくると、どんどん人がやってくる。
今回の集会は、共産党も社民もいろんな労働組合もさまざまな人たちが参加しています。いつもは、普通のパパやママ、おじさんやおばさんと適度に楽しくデモをさせてもらっているので、今回の参加者には、少しびっくり。
ほらね。だんだん増えてきたでしょ。
九大の先生・鹿児島大の先生・それになんと藤田祐幸さんも参加してのシンポジウム。藤田さんはおいくつになられたのだろう?声は若々しい。いつものように元気に「今、大事なのは二つだけ。福島のこどもを守る。必ず守る!福島の第一次産業、農業・漁業・畜産業をなくさない!」と。
この集会をやってる公園の一番後ろから写した写真です。ず~と向こうにステージがあります。
デモに出発する直前に主催者から「参加者が1万5千人を超えました」とアナウンスがあって、割れんばかりの拍手!!
韓国からも参加があったし、九州各県から本当に大勢の人が「さよなら原発!」のために集まったんです。
久しぶりにたくさんの友人にも会いました。ご夫妻でいらしてたり、高校生のお嬢さんと一緒だったり・・・ぼくもnamiちゃんと一緒でした。
会場の舞鶴公園から天神を経由して、九電本社までのデモがスタートします。
あんまり人が多いので、なかなか公園から出られない。こんなにたくさんの人がデモに出てきたのは、40年くらい前に経験して以来です。
O木さんのご夫妻と一緒に歩こうと思っていたら、いつの間にかはぐれて、なんとnamiちゃんは「ママは原発いりません」の幟まで持っている。若いパパ・ママ、こどもたち、そしてドラムをたたく若者達と天神までご一緒しました。
これは会場で買った福島産の「シナノゴールド」。とても美味しかった。
さて、ここからがちょっと長いのですが、ぜひ読んでください。
日本初「サウンドデモ」裁判を始めました。目に余る警察のデモ規制に対し、行政処分取消 と国賠請求で提訴しました。被告・県(知事)と県公安委員会。
その初公判での、原告の、いのうえしんぢくん(イラストレーター)の、とても素敵な意見陳述です。
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道ならぬ恋におちただけで死刑。
パンを盗んだ罰で足が切り落とされる。
そんなおそろしいことが、ほんの少し前にこの僕らが生きている世界にはありました。
原子力発電に関するエネルギー政策問題を口にして、そんなとてつもない迫害がこの
日本にあったのかは僕は知りませんが...いまでもバッシングがあることは事実です。
脱原発/反原発運動をやっていたら、何度も何度も投げつけられてきた言葉「反対す
るなら電気を使うな」。あまりにも食傷気味だからなのかやや乱暴になってしまうの
ですが「代替エネルギーをどうするんだ」なんてことを考えなくてもいいんじゃない
かと思うんです。考えないで「原発やめろ」というのは無責任なのでしょうか?
「責任をもって意見を言え」というなら、政府や電力会社からの情報が全面的にオー
プンにされてからでしょう。意見を表明したらそれが政策に反映される保障があって
からでしょう。それがないのに責任だけ問われてしまうのは、文句をいうなという脅
迫でしかありません。僕たちが民主主義と呼ばれる世界に立っているとするならば、
人間は不完全なものだから、100%正しい権力者などいやしないからこそ、みんなの
意見と力を寄せ集めるしかない、という考えから始まっているはずです。何が正しい
かわからないからこそ、みんなで議論しあって、もっともよいものを見つけだそうと
するもの、それが民主主義と呼ばれるシステムのはずです。危ないものは危ない、い
やなものはいやだとそれぞれの立場から声を出すところから始めるしかありません。
その出発点であるデモという行為を警察と言う国家権力から妨害されてしまったこと。
このことに対して、僕たちは裁判を起こすことになったのです。
福岡に住む僕たちは5月8日に脱原発サウンドデモを企画しました。デモといえば、
拳を振り上げシュプレヒコールをあげる、というイメージをすぐ連想する方であれば、
そういう従来のデモ行進とやや違うスタイルに見えるかもしれません。具体的にサウ
ンドデモとは、トラックなどに音響機材を積み、DJが乗り込んで曲を流したり、バン
ドメンバーが荷台などに乗り込んで演奏を行いながら、メッセージを伝えるというス
タイルです。一般的にサウンドデモと呼ばれ出したのは、2003年のイラク戦争に対す
る反戦行動からです。この音楽を中心に使うサウンドデモという行為には、これまで
の敵対性より享楽性などの部分も大きくあるからなのか、沿道からはいってくる参加
者も少なくありません。動員で組織されてきた従来のデモとは違って、予測不能な爆
発的なデモの拡がりを警察はとても警戒しているようで、福岡のデモではまだありま
せんが東京ではデモ隊の前に警察官を立たせて隊列を分断させています。
福岡でも警察官がデモ隊の脇を並列して密着したり、歩道とデモ隊列の間を分断した
り、デモ隊を細切れにして梯団の間を数百メートルも開けさせるようなことを警察は
しています。
日本でデモが少ない理由のひとつには、このような警察の過剰なまでの規制にあると
いえます。例えば海外では逆で、市民が街頭行動をする時には、警察が協力して路上
を開放します。ニューヨークのマンハッタンのような交通渋滞の激しい都市部だろう
と、ソウルのように交通量が非常に多いアジアの人口密集地域であろうと、デモ隊の
ために車道を全面的に開放し、大通りいっぱい歩けるようにするのです。だから、海
外でのデモは通りかかった人が参加してみようと簡単に加わることが出来ます。その
おかげで参加人数が日本と比べてずっと多いのもその理由のひとつです。
デモの隊列の先頭に警察車両が陣取って、大して他の歩行者もいないのに「デモは他
の交通の邪魔になって迷惑をかけています」とか「迷惑にならないように左に寄って
歩きなさい」という警告を大音量で繰り返しています。スピーカーで怒鳴らなくても、
デモ隊の脇にはびっしり警官が立っているのにも関わらずにです。こんな警告なんて
ものも、日本の警察の特別なものです。この他の通行人へのデモに対して敵意を植え
つけるような警察からの威圧的な警告は、世界中どこを捜してもみつかりません。
そんな風にして日本の警察との攻防があるのは当然ですが...別の方向からも僕たち
には妨害がありました。5月のデモにも使用した福岡市中央区の繁華街にある警固公
園を使うために僕たちは中央区役所の公園管理課に公園申請を出したのですが、6
月11日のサウンドデモにはこれまでにはなかったたくさんの条件を増やしてきて「場
合によっては公園許可を取り消す」と通告してきたのです。これは、僕ら脱原発デモ
主催者に対する違和感を持つ人たち、つまり原発推進の考えを持つ人たちが区役所に
おしかけて、僕らの脱原発運動を妨害しようとクレームを投げ付けたことが区役所を
動かしたのだと思います。その証拠は今もインターネットの動画サイトyoutubeで区
役所へ彼らが抗議している動画で確認することが出来ます。しかし、区役所が集会や
デモを中止させる権限なんてどこにもないのです。公園を管理する行政がそんな権限
を超えた行為をやろうとすることなんて、とんでもない弾圧だとはねのける労力が必
要になりました。しかも区役所側は「公園内だけは静かにして欲しい。路上では関知
しない」と言ったのです。これは「自分の半径数メートル以内が平和であればいい」
という電力会社と政府と自治体のなかで責任のなすりあいをしてる構図とまったく一
緒です。
僕が原子力発電に反対する一番の理由は、ヒロシマとナガサキに落とされた原子爆
弾から原発が生まれてきた歴史と、その原発で作られる生成物が核兵器に使われてし
まう危険性でもありません。核燃料サイクルが破たんしているのに進められてしまう
矛盾性でもありません。一度使ったら500年間も冷やし続けなければ動かすことも出
来ないプルサーマル発電のゴミ問題でもありません。
それは、権力とはこんなものなのか...と悲しくなるほど強引な進め方で、原発の政
策が進められてきてしまったからです。
それは2006年に「プルサーマル計画は住民投票で決めよう」という議題が佐賀県議会
のテーブルにかけられた時にこそ、僕の原発に反対する理由がそこにあったのです。
この県民投票条例制定運動は、地方自治法で定められた佐賀県民有権者の1/50の署名
数が必要でしたが、その3倍にのぼる5万3千筆も集まった署名を前にして古川県知
事は「なぜ住民投票が必要だ?専門家が判断したのだから、県民に問う必要はない」
と発言しました。プルサーマル計画には、従順で無知で無関心な住民たちの方が都合
がいい、という意味です。民主主義の壊れていく様子が透けてみえるようです。民主
主義のルールを破ってでも、そこまでして進める理由は何なのでしょうか? どうい
う力が動いて進められているのでしょうか。
僕は知りたいんです。知らない自分が嫌で、知っているフリをするのは、もっと嫌
なんです。
原子力発電に必要なウランが日本にやってくるまでに、既に劣化ウランと呼ばれる大
量の核のゴミが作り出されます。このゴミは劣化ウラン弾という兵器に変えられて、
イラク、アフガン、コソボの人たちを殺してきた事実が重くあります。僕は誰も殺し
たくはないし、殺されたくもないんです。
理想を語って原発に反対しようが、逆に働くため生きるために推進しようが、どち
らの側に立っても「人間は誰かを傷つけることが宿命」というのなら、無自覚で知ら
ないままに物事が進んでいくのではなく、かっと眼を見開いたままでそらさず僕は凝
視していたいのです。誰かを日々傷つけることの自覚と覚悟が少しでも増えていけば
...それは無闇に傷つけることを減らすことにつながっていくでしょうから。
僕は世界を変えるような大きな力なんて持っていません。だけれど、せめて世界で
起こっていることをこの耳で聞いて、それを自分の頭で判断して、この口で言葉にす
ることを、誰からも妨害されないこと。この権利だけは守っていきたい。そう願って、
この場所にたちました。