さようなら平成(後編)~半分は猫がいた生活
その中で人生を変えたのが猫である。平成14年4月15日に石川県で生まれたアメリカンショートヘアーのブラウンの女の子。名前はさくらとつけられた。一生懸命面倒をみて大事に大事に育てた。かわいくてかわいくてしょうがない、というのはこういうことなんだ、と思う毎日。でもワタシの猫ではなかったのだ。このことわかれるぐらいなら、と思い切った行動に出て、胃を壊すほど頑張って頑張って猫と住める物件に引っ越した。平成17年の夏。さくら3歳の夏。いままでと違うお部屋に戸惑うかも?と心配で、できるだけ長く一緒にいられる日程で迎え入れた。さくらのことを考えてすべてを決めた。退屈しないように、外の景色が見えるように1階の物件にし、ごみ箱は上に乗って間違って落ちないようにプルアップのものにし、顔をこすりつけるくせがあるので、家具の取っ手は出っ張ったものにし、さらにブラシを外側に向けてくっつけ、おもちゃの棒をコンテナにはさんで、いつでもすりすりできるようにし、自炊はネギと玉ネギの調理時には細心の注意を払い丁寧に手洗いしてからさくらを触るようにし、猫は音に敏感だと聞いたので、うるさくならないようにBOSEのオーディオから電源を切りラジカセで聴くようにし・・・・などなどなどなど・・・・。さくらの生活が第一(笑)!カメラやケータイのカメラロールはさくらだらけww。こんなに一生懸命になれるなんて思ってもみなかった。しかもこのこに見返りを求めたことなど一度もない。無償の愛とはこのことか(笑)!?平成28年には音楽家に奈落の底に落とされ、別の音楽家に深くのめり込み、行きつけの店も開拓してかわいがってもらい楽しく幸せな活き活きした日々が続いた。ただ、調子にのってたのか何が悪かったのかさっぱりわからないが一年後には嫌われ三昧(笑)でほとんどの楽しみは失われた。それでは終わらず想像以上に大きな、人生最大の代償。さくらを失った。何が何でも老衰で看取る自信があったほど健康だったはずが、病気させてしまい、会社も社長に話してNO残業させてもらい、何度も病院を行き来し、貯金(あってよかったよ・(笑))を潰して医療費を捻出し、いくらかかっていいから苦しみを少なく逝かせるために努力した。人生であんなにがんばったことっておそらく後にも先にもない。いままでのツケを払って生きていかなきゃならないんだけど、仕事も生活も毎日つらくてつらくてしかたがないのであるけど、できるかぎり楽しんでるように生きていこう。本心はさくらのところに行って一緒に永遠に遊びたいんだけど。平成の30年は、15年一緒に過ごした12年一緒に暮らしたこのことの時代。いっしょに令和を迎えたかったねぇ。かわいいさくら。元号にそんなに左右されないんだけど、周囲が騒々しいのと、こういった元号の変わり方はないわけだから、平成に最もワタシに影響をくれた最愛の子の事を思い出してミタ。