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という、シルヴァーノ・アゴスティさんの本を読み返していました。 舞台は『キルギシア』という、アジアの小さな国。 …想像してみればいいんだ、その島を それだけでその島は 本当に存在し始めるんだから というイントロから始まる話は、私に弥勒の世への足掛かりを感じさせました。 想像すること。 確かに、私の両親が幼かった頃、今の暮らしなんて思いもよらなかったことでしょう。 今身の回りに当たり前のように存在するものの大半が、考えもつかなかったかもしれない。 でも、誰かの心の内にはあって、 誰かが思い描いたから、今、ここにある。 同じように、 この話の中の『キルギシア』も、遠い絵空事のように感じる人たちがいるかもしれないけれど、 作者の中で芽生え、 イタリアでベストセラーになって、 こうして日本の私の手元に届くまでに きっときっと たくさんの種を人々の心にまいていることでしょう。 弥勒の世への、こういうルートも、きっとある。 日曜日に仲良しさんと高尾山まで足をのばしたら、頂上は驚くほどの人で埋め尽くされていました。 それでも、まだ少ない方で、11月はもっと。 と、センターの方がおっしゃっておりました。 紅葉のシーズン、 そして、先行きの怪しい経済に、お金のかからない外出先としてお山をチョイスされる方もあるかもしれないけれど。 超インドアだった仲良しさんが、富士山を皮きりに、彼女から高尾山に誘ってくれて、 『次はどこに行こう♪』 なんて声をかけてくれる展開もあるわけで。 確実に、 少しずつ、 弥勒の世は現実とリンクし始めているんだ。 と、そんな気がしています。 先日、たまたま立ち寄った本屋さんでは、 科学者の方が精神世界に歩み寄る本や、哲学者の方が物理理論を使って世界を見る本、高名な宗教者と科学者との対談など、 いろいろな垣根を超えて、 結局は一つの大元に向かっている足取りが見られるような気がしました。 全てが最善に向かって流している。 そんな気持ちが、少しずつ感じられるようになってきました。 ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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