テーマ:映画館で観た映画(8512)
カテゴリ:読んで(観て)みました。
自分自身に対する膨大な不満とやり場のない憤り… 理想を掲げてそれらを突き抜けようとしても、 結局は「現実」という壁にぶちあたって玉砕してしまう~のかな? *「スクラップ・ヘヴン」公式HPは→こちら 「世の中、想像力がたんねえんだよ」…てな具合に 作品中、「想像力」という言葉が何度もキーワードのように出てくるけれど、 登場人物たちはこの言葉を駆使しているように見えて、 実はその重さに自らに溺れちゃってるような気がします。 …というのも柊が思う「想像力」と、彼らの取る行動が かけ離れたものだったからかもしれません☆ 突飛な行動を取ればそれは「想像」的かというと…なんか違うような気がする。 小説中の一文を読んだとき、何小節かのメロディーを聴いたとき、 美しい風景を見た時なんかに、どうしようもなく自分の内側から 何かが溢れてくるようなそんな感覚を味わうときがあります。(稀だけど) 感化されるというのか。それとも触媒効果なのか。 「想像力」なんてものは、そんな小さなきっかけに過ぎない気がする。 それに伴う結果がどんなものであろうと、一切責任は持ちません、みたいな 野蛮なきっかけ。 想像力云々、世のなかがどうこう、…色々言葉を尽くすけれども 自分の中に溜まっている不満を回りに散らしたり、自身を傷つけることで 解消しようとする限り、結局のところ「幼い」気がするんだよね…。 それは若さ故だから、なんて納得させようとするのは少し乱暴な気がするんです。 (主人公たちが10代ならまだ通用するかもしれないけど、一応社会人でしょう??) 言ってることは彼ら以上に乱暴だったけど、柄本さん演じる刑事の台詞に一番共感してしまったかもしれないです。 なんだろう、この割り切れなさは。 「想像力」と言ってるわりには、自分たちの行動が周りにどんな影響を もたらすのか、或いは自分の未来像をもっと想像できなかったのか!? …なんて思ったり。 皆、ゲームが深みに嵌っていった時点で自分の未来を傷つけるかもしれない、と 危機感を覚えたはず。(つまり想像したはず) なのに衝動を止められなかったのは、自分の欲しくない未来図に対しては 目を閉じてしまったからではないですか。 想像することをやめ、ただ流れに身を任せてしまったのでは…? いかん…。こういう映画を観てこんなふうに考え込んじゃうのはどうしたって 映画をつまらなくさせてしまう。 「こういうのもありだよねー。わはは。」くらいに割り切って観れなきゃ面白くない。 この世のなかで一番汚い公衆トイレとはこんな感じ!?というのを 嫌というほど見せてもらいました 栗山千明さんはそんな映像の最中にあって唯一清涼剤的役割を 感じさせてくれました。 なのに出番が少ないよ…っ。 自由奔放、かつ精神的に危うそうな役柄をオダギリジョーさんが演じてました。 はまり役といえばはまり役…なんだけど、どんな演技が繰り出されるのか 予見できてしまうのが惜しまれる…。 (この感じは「あずみ」での美女丸~) うーん、消化不良気味かもしれません。 観終わったあと、文句なしに「面白かったっ!!」と思える映画が観たいよー。 ↑こんな感想書いちゃってますが、高評価の感想を聞くと 途端に自分の映画を見る目を疑ってしまう柊です…。 ああ、優柔不断でごめんなさい☆ (何故、私にはそんなふうにせつなく見えてこないんだろう…!?自己嫌悪) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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