テーマ:映画館で観た映画(8573)
カテゴリ:とにかく印象が鮮烈☆
受賞履歴:アカデミー賞作品賞/アカデミー賞監督賞/アカデミー賞主演男優賞/アカデミー賞美術賞/アカデミー賞衣装デザイン賞/アカデミー賞メイクアップ賞/アカデミー賞原案賞/アカデミー賞音響賞 “凡庸なる人々の守り神…サリエリ”かあ…。 神に愛されても、愛されなくても、幸せからは縁遠い気がする。 モーツァルトの才能に嫉妬し、絶望するサリエリの姿に同情することは出来ても、 記憶に残るのは彼の音楽ではない…。なんて残酷な事実だろう。 ・・・なーんて、自分だって達観していられる身分では全然ないのだ。 私だってこの世に生まれてきても何一つ遺せず忘れられていく凡庸なる人々の一人。 自分が死んだ後にも、モーツァルトの音楽はたくさんの人に演奏され、聴かれ、愛されていくんだろう。 サリエリのように、才能を見抜く力さえ与えられていないからその事実に打ちのめされないだけだ。 けれど、モーツァルトの印象的な旋律を聴いていると、そんな瑣末なことなどどうでもよいものに感じられてきちゃうんだよね。 嫉妬も、絶望も、生活の疲労感も、けして消え去るわけじゃないけれど…。 モーツァルトの音楽はまさしく天から降ってくる恩恵そのもので、ただただ慰められる気がするのです。 (例えばこれがベートーヴェンならそうはいかない。ベートーヴェンは神より人に寄り添って音楽を生み出した人だと思うから。) サリエリとモーツァルト、二人を対比させてそれぞれの苦悩を描き出したところ、この映画はほんとに素晴らしい。 サリエリの抱く悲哀感はある意味わかりやすいものだけれど、 モーツァルトだって「神に愛された」と言えば聞こえはいいけど音楽以外の面では、生活が破綻していた。 どちらが…というんじゃなくて。 映画の終盤~ラストシーンにかけての映像はレクイエムの旋律とあいまって 非常に印象的なのだけど、サリエリが「無慈悲な神…」と神父を罵る場面での ぞっとするような表情は映画全体を象徴している気がする…。 サリエリに音楽の才能を与えなかった…というだけじゃなく、 モーツァルトの存在すら、音楽を生み出す道具としてしか扱わない、そんな非情さ。 それでも、そんなすべての思惑をかけ離れ、音楽だけはただ美しくて。 この映画をはじめて見たときは「え、モーツァルトってこんな人!?」という奇人ぶりが 異様に印象に残ったのしか覚えてなくて(笑) サリエリの苦悩なんて眼中になく、もちろん理解もできなかった。 こうして映画を観返してみて、当時なにも映画から汲み取ることが出来なかった自分すら 振り返ることが出来て…なんか映画館に足を運んで良かったなあと思います。 自分の中に起きた変化なんて普段そんなに意識することないと思う。 「アマデウス」、これもまた名画の一つだなあと改めて実感しました。 いつか、これを越えるようなモーツァルトの映画が作られることがあるんだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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